習慣に疑問を投げかけることの重要性 「一日三食」は必要か?
こんばんは。
本日もこのブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。
以前、テレビについての記事の中で
「テレビを見るのは単なる習慣では」
という趣旨の記事を書きました。
日々の生活の中で、自分で決めたわけではないのに続けているものは多くありますよね。
習慣は悪いことばかりではありません。小さなことですが、例えば毎朝歯を磨くという習慣は良いことででしょう。
良くも悪くも、私たちは習慣によって日々の大部分の時間を過ごしています。
知らぬうちに良い習慣を続けているのであれば問題はないかもしれません。
悪い習慣と分かっていながら続けているのであれば、それは問題ですよね。
ただ、自分でそれが良くない習慣だと認識しているのであれば、まだ救いようがあると思います。とはいえ、習慣を変えることは容易でありませんから、それを改めるための施策が必要ではあります。
一番問題なのは、自分が習慣で行っている対象を認識していないことだと思います。それになんの必要性もないのに、さらには問題を引き起こす可能性があるのに、そのことに気づいていない、という状況です。
この意味で、無意識にやっている行動に疑問を投げかけることは有効です。というよりは必要なことである、といったほうがいいかもしれません。
テレビは「必要ないのに続けてしまっているもの」の最たるものではないでしょうか。
これを認識するとしないとで、自分の生き方が大きく変わってくると思います。
私がテレビ以外に同様に感じる対象は他にもあります。
そのうちの一つが
「一日三食」
という習慣です。
以前の記事で「朝食抜き」の生活について書きました。
私は長い間一日三食を続けてきました。
母親が毎日朝食を用意してくれて、それを食べるのが普通のことでした。
このことに何の疑問も感じずに生きてきました。
これは、私に限らず、現代に生きる多くの方の生活習慣であると思います。
日本では長きにわたり、「一日三食」が推奨されてきています。
また「朝食をしっかり食べよう」と教えられてきましたので、朝昼晩に食事をとることが「ふつう」のこととして認識されています。というよりは、認識すらしていないわけですよね。疑問をさしはさむこともありません。
ですが、日本でも江戸時代の元禄期までは一日二食が基本であったと言われています。
長い歴史においては、「一日三食」は決して「ふつう」のことではなかったのです。
現代の日本に生きる私は「一日三食」を何の疑いもなく受け入れていました。
あるきっかけにより、私はようやくそのことに疑問を持つに至りました。
明日に続けます。