「行動と見識」KOUSHIのブログ

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鍵山秀三郎さんのプロフィール 幼少から青年期

こんばんは。

本日もこのブログにお越しいただきありがとうございます。

 

新しい月が始まりましたね。よいスタートが切れましたでしょうか。

私は早朝から体調不良に見まわれてしまい、残念なスタートをきってしまいました…。

こんな日もあると割り切って、これから挽回していきます。

 

昨日は、Kindleがもたらしてくれた鍵山秀三郎さんとの再会についてお伝えしました。

 

ここで、鍵山秀三郎さんのプロフィールを簡単にお伝えします。

 

1933年東京生まれ。岐阜の県立高校を卒業後に上京し、1953年に自動車用品会社に入社。

1962年に株式会社ローヤルを設立し、代表取締役社長に就任。

1990年に株式を店頭登録。1997年には東証一部に上場し、社名をイエローハットに変更。

翌年、同社相談役に就任。

 

書籍の著書紹介に書かれているような内容にするとこんな感じになります。

 

これだけ見ると、多くの成功者の一人に過ぎない感じがします…。
(成功者でない人が言うとおこがましいですね…。失礼しました。)

 

過去の私のように鍵山秀三郎さんのことを「イエローハットの創業者」、「トイレ掃除」というキーワードのみで認識されている方もいらっしゃるかもしれません。

 

このプロフィールでは鍵山秀三郎さんのことをお伝えするにはあまりにも不十分ですので、もう少し細かくご紹介していきます。

 

鍵山さんは1933年に東京に生を受けます。父親は他人に迷惑をかけることをよしとせず、正義感にあふれる性格の人。困った人を助ける義理人情に厚い人でもあったようです。

太平洋戦争の東京大空襲により生家は焼け落ち、家族は全財産を失います。その後、両親の故郷である岐阜で疎開生活を始めます。

 

屋根に穴が開いた廃屋を借りて住みながら、両親は農業に勤しみます。

朝から晩まで必死に働いても、得られる報酬はわずかなお米のみだったといいます。
畑仕事をしていた母の倒れそうな姿をみた鍵山さんは、両親の農作業を手伝うようになります。周囲の人から「骨が曲がるぞ」と心配されるほど、大人も驚くくらいの過酷な農作業を毎日行っていたようです。

「農作業の合間に学校に通っていた」と氏がいうほどの生活を送っていました。

 

両親は仮屋を修理しながら生活を続け、毎日何度も丁寧に掃除をしました。

過酷な住環境・食環境にありながら両親はまったく愚痴を言わなかったといいます。

 

岐阜の県立高校を卒業後、中学の代用教員を経て、1953年に上京した鍵山さんは、自動車用品を扱う会社に就職します。

 

明日に続けます。

 

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