「行動と見識」KOUSHIのブログ

行動と見識で人生を豊かにする

疎開生活で両親の生き方に衝撃を受ける

こんばんは。

本日もこのブログにお越しいただきありがとうございます。

 

私の住む地域は暑い一日でした。まだ6月初旬にもかかわらず真夏のような日差しでしたね。

 

これから梅雨を迎え、蒸し暑い時期を過ごすと思うとゾッとする反面、昼間の時間が長いこの時期は嬉しい季節でもあります。

 

早起きすることも苦になりません。まだ早起き習慣を身に付けていなければ、今が絶好のタイミングですよ。ぜひトライしてみてください。

 

本題に入ります。

 

今日も鍵山秀三郎さんの少年時代の話を続けます。

 

太平洋戦争のなかで、全財産を失った鍵山家は岐阜での疎開生活を始めます。

屋根に穴が開いた廃屋を借りて、鍵山家の疎開生活はスタートします。

 

鍵山さんのお父さんは、その地で農家の人たちが見放したような、荒れ放題の畑を借りて農作業に従事することになります。疎開者が借りられるのはそのような土地しかなかった。

収穫には不向きで、さらに丹精込めて育てた作物が収穫寸前に災害に見舞われてしまうことも多かった。

収穫の保証がない農業で努力をせざるを得ない状況にいました。

 

そのかたわらで、お父さんは日雇いの仕事にも従事します。しかしながら、もらえる日当は子供の小遣い銭のようなわずかな額だったようです。

 

お母さんは近隣農家の手伝いに勤しみます。過酷な重労働に一日中取り組んで、手にできる報酬はわずかにお米一升だったとか。

 

五人の子供を養わないご両親は非常に過酷な状況に置かれていたのです。

 

鍵山さんは、「そんな環境でも、両親が愚痴や言い訳をいうのを一度も聞いたことがなかった」と述懐されています。

厳しい生活環境だったにもかかわらず、両親の生活態度にはうろたえたところが全くなかった。

 

「与えられた環境の中で一所懸命生き抜いてきた両親の姿がいまでも瞼から離れない」とおっしゃっています。

 

東京では五人兄弟の末っ子で、ある意味自由奔放に生きていた鍵山さんですが、この両親の姿をみて、それまでの生き方を変えるに至ります。

 

鍵山さんが両親の農作業を手伝うようになったきっかけは、畑仕事をしていた母の倒れそうな姿をみたことでした。

 その姿に衝撃を受けた鍵山さんは、自ら厳しい農作業に従事するようになります。

 

周囲の大人たちから「骨が曲がるぞ」と心配されるくらい過酷な労働。そこまでの努力をしたにもかかわらず、収穫としては報われないことばかり。

 

客観的に見れば、この環境はひどいものとしか考えられません。

 

ですが、鍵山さんはそのように捉えなかったのです。

 

明日に続けます。

 

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