成功本・自己啓発本・自伝について考える
こんばんは。
本日もこのブログにお越しいただきありがとうございます。
週末初日の本日をあなたはどのように過ごしましたか?
恥ずかしながら、私は昨晩の深酒を引きずってしまうという失敗をしでかしてしまい、大量の時間をムダ遣いしてしまいました。
しかも、この記事を書くにあたって昨晩の記事を見直したところ、タイトルが書かれていなかったことに気づきました。要反省です…。
さて、本題に入ります。
鍵山秀三郎さんのお言葉は心に響くものばかりです。
イエローハットを一代で築き上げた実績ゆえ説得力があるという一面はあると思います。
それより私が感じるのは、鍵山さんが「実践の人」であることの説得力です。
私は「人生の原理原則や成功の秘訣を知りたい」という気持ちが強く、多くの自己啓発書を読んだ時期がありました。
読んでいる時には気持ちが高揚するのですが、その学びを実践に移せたかというとそうではなかったのです。
「よいことを学んだな」で終わってしまうことが多いのです。
心当たりがある方も多いのではないでしょうか。
さらには、実際の成功者が語ったものでないと信用できないという思いも強くなってきました。
書かれていることはどれも似通った内容です。自身の体験からでなくとも、過去の書籍から引用し、あたかも自分の意見のように言うことはできますからね。
今ではいわゆる「成功本」「自己啓発書」といった書籍を読む機会はだいぶ少なくなりました。
その点、自伝の方が学ぶものが多いと思っています。
良質なフィクションのように「ハラハラドキドキ」を感じたり、「多くのピンチを切り抜けて成功を掴む」というストーリーの自伝を好んでいます。
中には、全く面白さを感じない自伝もあります。何の波乱万丈もなかったり、一生を通じて環境に恵まれている人の話を読むことには面白みを感じません。むしろ、気分が悪くなります(言い過ぎました…)
自伝が好きな理由は他にもあります。
その人の生き方を自分と重ね合わせたり、今後の自分の人生に活かせる学びを得たいという欲があるのです。
自伝は実体験から語られた言葉であるがゆえに重みを感じます。その教えを自身の生き方に組み込むことができれば、人生が好転していくように感じますよね。
ただ、ここで一つの事実を忘れてはいけません。
成功者の自伝を読んでも、「どうして成功できたのか」というのが分からないことが多い。
というよりは、成功者の語る成功からは、その因果が分からない、といったほうが正しいでしょうか。
「価値に不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉は聞いたことがありますか?
野村克也さんのお言葉だとばかり思っていたのですが、肥前国の平戸藩主であった松浦静山の言葉のようです。
明日に続けます。