他人の不幸は蜜の味
こんばんは。
本日もこのブログにお越しいただきありがとうございます。
今日から新しい月が始まりましたね。
あなたはどんなスタートを切りましたか? なにごともスタートは本当に重要ですよね。
スタートを制するものはゴールを制します。この気持ちで今週の活動に邁進していきましょう。
今日は、楠木建さんがおっしゃている「幼児性」の3つ目の内容についてお話します。
それは
「他人のことに感心を持ちすぎる」
ということです。
なぜ、他人のことを気にしすぎてしまうのか?
楠木建さんはさらに続けます。
「本当にその人が気になるというよりも、自分の中に何かの不満や不足感があって、その埋め合わせをしている。」
と。
この指摘にも思わず唸りました。「その通りだ」と膝を打ったのです。
楠木建さんには唸らされまくりです。
他人に感心を持つこと自体は悪いことではありませんよね。
例えば、他人のことを心の底から心配して、いろいろとアドバイスをしてあげたくなる。このこと自体は善意からきているのでしょう。
ですが、その人が気になる理由は、果たして本当に他人への「思いやり」の心なのだろうか?
それよりも、「自分の中に不満や不足感を埋め合わせる」という動機があるのではないか、と仰っています。今回も私自身に対して言われているような気がしました(笑)。
「自分の生活が充足していない。」
その状況・感情に心を揺さぶれたくない時に、簡単な解決策が一つある。
それが「自分より不幸な他人を見ること」です。あまり認めたくはありませんが、人はこのような性質を持っていると思いませんか?
自分の心の安らぎを得るために、他人の不幸を探してしまう。
「他人の不幸は蜜の味」という表現があるように、人にはこういう性質があるのです。
ここに「幼児性の最たるものがある」と楠木建さんは明言されています。
自分が満たされていないのなら、その原因を見つけ出し改善していく。そのために自分と向き合うというのが「大人」です。
それなのに、他人の欠点や問題を探し出して、それらを自分と比較する。そうすることで安堵を感じる、という行動をとってしまう。まさにこれは「子ども」の行動ですね。
こう考えると、今の社会は本当に多くの「子ども」で満ちているように感じます。
楠木建さんの幼児性に関する指摘は本当に見事でした。
自分の至らなさを恥じるとともに、今後の行動指針を得られたことが収穫でした。
言語化された真因を自身が十分に認識できたのは本当によかった。そう思います。