1980年代後半に起こった戦争 戦争の勝者は他にもいた
こんばんは。
新しい1週間が始まりましたね。あなたはどんなスタートを切りましたか?
私は新しい洋書を読み始めました。週末にAmazonから届いた本に今日から取り組んでいます。
まだ冒頭を読んだだけですが、期待できそうな内容です。これから読み進めていくの楽しみです。
毎朝30分の読書時間は自分にとって重要な時間。この時間に英語で興味のあるテーマを学習するという「一石二鳥」の取り組みをこなす。私が身につけた良い習慣の一つです。
今日も柿ピーの話を続けます。
亀田製菓さんの柿ピーを世に知らしめたのは、1977年に発売された「フレッシュパック柿の種」。
鮮度を保つとともに、持ち歩きや個人消費という新たな食シーンをつくった商品でした。
そして、亀田の柿の種を一躍メジャーな存在に押し上げたのが1980年代後半のある出来事です。
この時期にあった出来事とは?
そう、それは「ビールドライ戦争」です。
以前の記事で触れていますので、ご参照いただければ、と思います。
朝日麦酒が火をつけた「ドライビール」の戦争。
『アサヒスーパードライ』『キリンドライ』『サッポロドライ』『サントリードライ』というように、各社が社名を冠したビールを次々と世に送り出しました。
お酒のおつまみとして定番のピーナッツとピリ辛の柿の種の組み合わせ。これがドライビールと絶妙なマッチングであったこと。さらには、小分けの1袋が350mlの缶ビールにちょうどいい分量であったこと。
これらの要素により、柿ピーはビールのおつまみとしての地位を駆け上っていきます。
ビールを飲むと塩辛いものが食べたくなりますよね。ビールを摂取すると血液中のナトリウムが不足し、人間の生理的欲求として塩辛いものを欲してしまうのです。
この生理的な側面もさることながら、より大きな要因は、ドライビール戦争によりビールにより注目するようになった消費者が、自宅飲みのお供として柿ピーを選択したからではないでしょうか。
このドライビール戦争で、朝日麦酒は国内シェア2位の座に返り咲いたのですが、この戦争の勝者はアサヒだけではなかったのです。
亀田製菓の柿の種は5年間で180%増という驚異的な成長を遂げます。
これにより同社の柿の種の売上は業界トップとなり、現在の不動の地位へとつながっていったのです。
ドライビール戦争の陰に、このようなストーリーがあったことをご存じでしたか?
いまや、柿ピーはビールのお供として揺るぎない存在になっていますが、これが定着し始めたのはわずか20年前なのですね。驚きでした。
亀田製菓さんがトップシェアをとったのは、単に運がいいだけではありません。
その裏には、やはり企業努力があるのです。
そのことに関連して、明日は、柿の種とピーナッツの比率について見ていきたいと思います。