「フォーム」を意識して築き上げる
こんばんは。本日もこのブログにお立ち寄りいただきありがとうございます。
今日も「フォーム」について考えます。
昨日も書きましたが「センス」より「フォーム」という言葉のほうが自分にはしっくりきますし、救われる気がします。それは「センス」が生まれ持ったものという意味合いを強く感じるのに対して、「フォーム」のほうは、自分で作り上げることができるという含みを感じるからです。
もう1度メモを見てみます。
「その先のゼロからプラスを創るのは何か。『この人に頼もうかな』とか『こいつはいいな』と思わせるのは、その人に固有のセンスとしか言いようがないもの。『フォーム』といってもよい。」
「フォームは『蛇の道は蛇』の最たるもので、長いこと時間をかけないと練り上げられない。」
とはいえ、自分の「フォーム」を持つのは容易ではない、と楠木建さんはおっしゃっています。
フォームは「蛇の道は蛇」の最たるもの。
自分で作り上げられるとしても、長い時間を要する。
さらには、そのフォームは各人に固有のものなので、他人のフォームを借用することはできない。上部だけの借り物フォームは長続きせず、どこかでメッキが剥がれる。一時的には周囲をダマせても、長期的に矛盾なく信頼を得るのは難しい。
やはり、長期間続けることが必要なのです。簡単に得られるものは存続しないし、その人に固有のものではありません。楽をしたいという人は、フォームを持つことを諦めるしかありませんね(笑)。
長い間蛇の道をはいずりまわる中で、「こういうものが自分のフォームだな」と気づく。もしくは他者との関係の中で、自分のフォーム」に気づいたりする。楠木建さんはこのようにおっしゃっていたと記憶しています。
この「気づき」というのが大切なのでしょう。
自分のフォームを気にかけていないと、その気づきを得られない。
多くの人が無意識に各自のフォームを作り上げていると思います。長い年月を生きているほど、その人の個性や癖が際立ってきますよね。
本人はそのフォームを気にしていない、気づいていなくても、周囲の人はそれを感じている、わかっている。これが人間関係の実態だと思います。
自分が無意識だとしても、そのフォームが周囲に好印象を与え、自分の存在を好意的に受け止めてくれれば良いのでしょうが、実際にはそうとも限らない。
フォームがネガティブな印象を与えて、周囲から引き立てられることが無い、もしくは冷やかに捉えられている、という人のほうが多いのかもしれません。
「自分のフォーム」を意識して、「気づき」を得るチャンスを手にする機会をより多くもつ。
「自分のフォーム」を見つけることができたら、それを大事に育てていく。
簡単なようで本当に難しいのですが、これを長い間続けていくしかないのでしょう。
そうすることで「この人に頼もうかな」とか「こいつはいいな」と周囲に思わせることができたら、仕事人として本当に幸せだと思います。