改めて感じた「記録を続けること」の効用
こんばんは。
先日立て続けに「しでかしてしまった」ことがあります。
それは
「デバイスの電池切れ」
です。
図書館での予約本受け取りとスーパーでの買い物のために外出。数時間で戻ってくる予定のある夕方。
移動中に2つのデバイスのバッテリーが切れました。
1つ目はポータブルオーディオプレーヤー
私は常に英語を聞いています。家に居る時も外出するときも1人で居る時は常にです。人と会う時以外は聞きっぱなしの状態です。
私はAGPTEKのプレイヤーを長きに渡り使っていますが、バッテリー残は数値では表されないタイプ。しかも目盛りは5段階くらいしかありません…。
家を出る前にチェックした時はバッテリーはあと数時間はもちそうな感じだったのですが、突如バッテリー切れ。バッテリーの劣化が進んでいるのかもしれません。
もう1つはウェアラブル端末。自分の健康状態を可視化するために数か月前に使い始めました。特に睡眠改善には手放せない存在となっていることはお伝えしましたね。
こちらのバッテリー残はノーチェックでした。感覚的に充電までまだだいぶ時間があると思っていました。
外出中に時刻をチェックしようと思って端末のボタンを押しても表示されない。いつの間にか電池が切れていたのです。
「だからどうしたの?」という話かもしれませんが、私にとっては少し痛手だったのです。
なぜそう思ったか? それは「自己記録更新ができなくなる」からです。
私は英語学習時間を毎日記録しており、だいたい1か月分の記録を過去と比較しています。
「どれだけ英語時間を確保できたか」が常に気になるようになっています。わずか数時間でもその時間をロスすると、記録更新から遠ざかります。それを残念に感じたのです。
ウェアラブル端末では毎日の歩数が記録されています。私は1日15000歩くらい歩いているのですが、このバッテリー切れの間に数千歩分が記録されなかったことになります。
「だからなんなの?」という声が聞こえてきそうですね(笑)
どちらも何か大きなものを失ったわけではありません。
でも残念に思った。その背景には「記録習慣」があると思うのです。
記録を続けることで、「自己記録を更新したい」「記録を途絶えさせたくない」という思いが働き、そのタスクへのモチベーションを維持することができる。記録を取っていなければ、特に気にすることはない。そう思います。
やはり「記録」は大切だな、と再認識した出来事でした。
一方で「記録したほうがよいもの、すべきものを見逃していないか?」について考えるきっかけになりました。
そして、思い付いたのが「感情記録」です。こんな重要なことになぜ今まで気づかなかったのか? と思いました。
この「感情記録」については、改めて記事にしますね。
記録を続けることはタスクを継続させること。このことの重要性がもっと認識されてよいのでは、と思った出来事でした。