「トークが面白い」という表現は軽すぎた
こんばんは。
私が一時期大井競馬場に通うようになってしまったのは、おやじの存在があってこそ。
競馬でお金を得られた日はやはりうれしいのですが、そうでなくても、このおやじのトークを聞けたことで競馬場に来てよかったな、と感じていました。
彼の放談会のチケット代だと思えばい良いのですから。生で面白いトークを聞ける機会を無料で(馬券代で)見られるのはお得です。
日常生活において、テレビ番組や動画配信、YouTube等で面白いトークを聞く機会はふんだんにあふれています。
ですが、たまにそういうトークを生で楽しんでみたいと思いませんか。落語を聞きに行くのもいいかもしれません。プロの話術を味わうことができます。トークライブもいいかもしれません。
ですが、よりお手頃な価格で、しかもお金を増やせるかもしれない、という生トークの場所がある。そこが大井競馬場なのです。
ここまで書いてきて違和感を抱き始めました。「トークの面白さ」という表現は軽すぎたのではないかと。
おやじの予想は奥が深く、一貫した理論に基づいてる。そして、レースの比較調査を徹底して行っているのがうかがえる。だからこそ、彼が語る予想には重みがある。
ちょっと大げさかもしれませんが、競馬の予想に人生をかけている感じが伝わってくる。おやじが実際にそういう思いを話しているのは何度も聞いたことがあります。彼の自分の仕事に対する大きな自負を強く感じたものです。
これらがあるからこそ、彼の口上に惹きつけられてしまう。この側面が大きい。
だからこそ、おやじが自信を持ってくり出した予想の最後に
「ついてこい、俺に!」
という、おやじの重く低音の声についていきたくなるのですw
予想に直接関係ない話も「面白い=funny」ではなく「興味深い=interesting」という意味合いで面白い。もっというと、人生について、おやじの教えを受けているような感覚になる。
その中で笑える(=funny)ような話が織り込まれると、なおさら面白く感じる。
そんな稀有の存在。わたしにとっては、それが「おやじ」だったのです。
私が大井競馬場に通っていたのはもう十何年も前ですが、久しぶりに行きたくなってきました。
馬券でお金を得たいのではなく、おやじの話を聞きたいから。
おやじの口上を聞き、人生を学び、人生を楽しむ。そういう時間を持ちたい。今の自分にはそんな時間が必要だ、と思ったからです。
(大げさですみません…)。
競馬場でなくても構いません。あたなに、おやじのような存在がいると、人生が豊かになると思いますよ。