「予想を買う」ことは「鵜呑みにする・手放しに従う」ことではない
こんばんは。
最後に彼の口上を聞いてからもうすでに十何年も経っています。久しぶりに彼に会いたくなってしまい、昨日のように熱弁(?)をふるってしまいました。
ちなみに、予想が書かれた紙片は当時100円だったと記憶しているのですが、知人に聞いたところ、今は200円になっているようです。大井競馬場で予想屋さんを体験されたいと思っている方のためにご参考まで。
予想士の予想を購入する。ここで気をつけることは、人生の他の多くの場面にもあてはまります。
競馬から得られるもの。お金を儲けるという一義は当然ですが、競馬がもたらしてくれる大きな喜びの一つは、自分で予想し、その自分なりの考えが的中した時に得られる快感・感情にあります。その意味ではこちらのほうが価値が高い。お金は二義的なものといってもいいかもしれません。
では、なぜ私はおやじの予想を買うのか? 他人の予想を買うのか?
他人の予想に従って買っても意味がないのでは? と思うかもしれません。
一つ目に、それは自分の予想の正しさを裏付けること、抜けがないかを確認するため。
私の予想法は師匠ゆずり。そして、師匠はおやじから学んでいる。この意味では、おやじは私の師匠でもあります。
自分なりの予想法があるとはいえ、基本、根っこの部分はおやじの予想と変わらない。
自分が立てた予想がおやじの予想と一致したときには、確かに的中率が高かったと記憶しています。
両者の予想が異なる場合には、おやじがどこを見ているのか、私が何かを見逃しているのかを考える。
いずれの場合も、1000円の予想紙と、毎レース前のおやじの説明に熱心に耳を傾けて、最終的に賭ける馬券を決定するのです。
二つ目に、専門家の情報量、つまり自分にできない部分を補うため。
おやじは、予想をするために、過去レースのビデオを見返しています。馬の能力を比較し指数化し、軸馬を決めるために関連する数多の過去レースを何度も何度も見返している。
これはなかなか素人にできるものではありません。そんな時間はとれませんし、そんな情熱すらないかもしれません。
自分ができない部分を補うために、その部分を専門家から購入するのです。
ここでも、1000円の予想紙と、毎レース前のおやじの説明に集中することが大切になってきます。おやじが言っていることは正しいのか? どのレースを見てそれがどんなペースであったか、そこからどうやってこの指数を出したのか? これらを確認したうえで、最終的な馬券を購入する。
どちらも「参考」にしているというところがポイント。「鵜呑みにする」「手放しに従う」とは異なります。
これは人生にも通じると思いませんか。
最終的には自分の人生は自分で切り開くしかありません。他人の人生を生きるのではなく自分の人生を生きる。そのために師匠や専門家の意見を参考にする、活用する。決して鵜呑みにするのではなく。
おやじの予想に逆らって自分の予想を貫く。それで勝った時の喜びは格別でした。また、オヤジの予想馬券を加えることで、自分の予想の損失をまかなってもらったこともありました。
流されたり盲信するのではなく活用する。これはおやじが望んでいることでもあります。