「エゴは捨てられない」が大前提
こんばんは。
昨日から、田坂広志さんの『人生で起こること すべて良きこと』からの学びの要約には含めなかったものの中から、思わず膝を打った文章、氷解をもたらしてくれた文章をお伝えしています。
今日も続けます。
「エゴ」を捨てるのではなく、むしろ自分の中の「エゴ」を大きく育てる必要がある。「エゴ」は捨てられない。「エゴ」は「大きなエゴ」へと育てていかなければならない。
メモ要約の中でもお伝えした「エゴ」についてのお言葉。「エゴは捨てられない」との断言が心に響いたのを覚えています。
そして、現実を冷然と示すだけでなく「ではどうすればいいのか」という答えが合わせて提示されている。そのことに何か安心を感じたのです。
「エゴ」は一般的にネガティブに捉えられることが多いでしょう。自分勝手、わがまま、身勝手といった言葉と結びついて考えられることが多い。
そして、私たちは「そんなエゴ」を捨てようと試みる。私たちは、エゴに限らず良くない対象をなくそう、捨てようと考えてしまいがちです。この考え自体は悪いことではありません。むしろ良いことでしょう。自分が作り出して、自分に周囲に害悪をもたらすものがあれば、それをなくそうと努力する。この考え・行動自体は尊重されるべきもの、称賛されるべきものだと思います。
でも、それが空回りであること、もっと言えば不毛であることを認識していないと、かえって自分を、他人を苦しめることになってしまうのですね。
「エゴ」はそんな対象の代表格。捨てられないエゴを捨てようとしても前には進まない、どこにも行けない。これを知らないと堂々巡りを繰り返すことになってしまうのです。
「エゴは悪いもの」と短絡的に捉えるのではなく、「エゴ」には「小さなエゴ」と「大きなエゴ」があることを認識する。
小さなエゴ、大きなエゴとは何か?
改めて田坂広志さんの書籍から引用します。
「エゴが小さい」と現在の未熟な自分、欠点のある自分を擁護し「自分は間違えていない!」「自分は変わりたくない!」という叫びが心を支配してしまう。
しかし「エゴが大きい」と「自分にはもっと素晴らしい可能性がある!」「自分はもっと素晴らしい人間へと成長できる!」という思いが勝り、現在の未熟な自分、欠点のある自分を直視しながらも、未来の成長した自分、成熟した自分を目指すことができる。
この小さなエゴというのは本当にやっかいで、いくつになっても捨てきれないのです。歳を重ねたからといってエゴを操ることができるわけではない。むしろ、年寄りの害悪というと言葉は悪いですが、自分のエゴが凝り固まって傍若無人に振舞う方もいらっしゃいますよね。
田坂広志さんの文章を再度引用します。
「厄介なエゴ」の動きに処する「こころの技法」はたった一つ。静かに見つめる。ただそれだけ。否定も肯定もせず、批判も賛同もせず、ただ静かに見つめること。そうすると「エゴ」のうごめきが静まっていく。
この技法を身につけて、これからの人生を生きていけば、エゴ丸出しのおじさんにはならずに済みそうです。。。