「行動と見識」KOUSHIのブログ

行動と見識で人生を豊かにする

「今を楽しむ」余裕が解釈を変える

 

こんばんは。

「一時も無駄にしたくない」という思い。

長きに渡りこの思考に沿った行動を続けてきた私は、生活のあらゆる側面で時間を有効に活用することを心掛けてきました。

この思考は悪いことではないと思います。「時間」は有限であり貴重な資産。それを無駄にしないという思考・行動習慣を持てたことで、実際に果実を得てきた面もあります。

 

でも、最近になって、この思考一辺倒は良くない。そういう考えを持つようになりました。

待っている時間が耐えられない。何かをしていないと時間を無駄にしているように感じてしまう。この生き方はある意味窮屈なのです。

 

「その時間で何をするか」という、より大切なことを蔑ろにして「とりあえず何かをしていればいい」という穿った方向に行っていた面があった。これが一つ目の反省点。

私にとって読書がその最たる例かもしれません。特段読みたい本でないとしても、とりあえず空いている時間には何かしらの書籍を手にする。何もしないという時間を極力少なくするための行動。その行動ありきで、読書から実際に何を学んだのか、何を得たのかは二の次になっていた。

 

そして「今を楽しむ」という気持ちがなかった。もっといえば「今幸せを感じる」という余裕がなかった。これが二つ目の反省点。

先ほど読書について触れましたが、このこととも関連しています。

私は「読書をすることで仕入れた知識は将来何かしらの役に立つはず」という考えを持っていました。これは読書をしている時間は楽しくないとしても、将来何かメリットを得られるのだから良しとする、という考え方とも言えます。今を犠牲にして将来に備える、という言い方もできるかもしれません、きれいな表現をすれば。

でも犠牲にしてしまった「今」こそがもっと大切なのかもしれない、そう感じるようになってきたのです。これは歳を重ねてきたことが大きく影響しているのかもしれません。若い時に比べれば、残された人生の時間はかなり少なくなっている。繰り延べできる将来という時間は限られていますから。

 

こう考えると、時間の無駄使いの例として挙げた二つの行動も、実際はそうではないと思えます。

 

移動の電車内で読書をせずに眠りをとってしまったこと。 

→ 不足している睡眠時間を補うことができた。有意義な時間。

テレビでバラエティ番組を何時間も見続けてしまったこと。 

→ 楽しい時間を過ごすことができた。幸せな時間。

 

「今を楽しむ」余裕があれば、その行動の解釈も変わってくるのですね。

 

「時間の無駄を悔やまない、それよりも 幸せな時間を持つことに注力する。」

このことを念頭において、これからの行動習慣に修正をかけていきたいと思います。「時間を無駄にしない」という思考はそのままに「幸せな時間」によりフォーカスする。時間は有限ですから、バランスが大事、ということでもあります。

 

今幸せを感じる。今を楽しく生きる。

さらには、のんびりした時間をもって自分を楽しくする計画を立てる。楽しい未来を思い描く。

他人の幸せを祈るのもいい。

 

そういう時間が大切。

急いで生きると、今に幸せを感じられないのかもしれない、そんな気がする今日この頃です。

 

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