自分にでもできることを見る
こんばんは。本日もようこそお越しいただきました。ありがとうございます。
憧れの先輩から勧められた1冊、『アメリカよ! あめりかよ!』(1987年、集英社)。
その面白さと熱いメッセージに心を揺さぶられながら、ある週末の土曜日に一気に読み切りました。
「自分もこんな風に生きたい!」と思わされた。読んでいる最中、そして読了した後も、この気持ちの高揚は続いたのです。
弱い自分を鼓舞してくれる本に出会えたことに感謝し、その日は熱い気持ちのまま一日を終えました。
その翌朝、未だ気持ちの高ぶりは続いていましたが、少し冷静になっていました。
そして、もう一度書籍を手にし、気になったエピソードを再読します。
「やはり落合信彦さんは凄い。かっこよすぎる。」
と憧れの感情を抱くとともに、
「それに比べて、なんて自分は弛んでいるんだ。呑気に生きているんだ。このままではダメだろ!」
と自分を鼓舞する感情が湧いてきます。
と同時に
「でも、自分には少しハードルが高いよな」
という感情も生じてきたのです。
落合信彦さんのエピソードの数々はスケールが大きいものばかり。
チャンピオン・ファイトで相手を一撃でグラウンドに沈めたエピソードはお伝えしましたが、その後も幾多のチャンピオン・ファイトやストリートファイトでも負けたことがない。
アメリカ人の美女と何人も付き合ったりしたというのもそうですね。オイルビジネスで世界を股にかけて、数々の修羅場を潜り抜けてきた、というエピソードの数々も。
憧れの存在に少しでも近づきたい。そう思ったときには、その人のまねをするのが近道に感じますよね。
でも、あまりにも自分とはかけ離れた世界を生きてこられた方であると、そのまねをするのが本当に困難。
「自分は空手の達人ではないし、アメリカ人とケンカをして勝てる気もしない。」
「アメリカ人の美女とつきあうなんて、できっこない。」
「ましてや、世界を股にかけてビジネスをするなんてできない。」
「そもそも、自分はもうそんなに若くないのだから、いまさらこんなドラマティックな生き方ができるわけがない」
と、できない理由がどんどん浮かび上がってきます。
現実的に考えたら、その通り。落合信彦さんのような生き方など、ほとんどの人ができないでしょう。だからこそ、その生き方に憧れを抱くのですよね。
昨日の気持ちの高揚とは打って変わって、この日は、かえって自信を失いそうになっている自分。これでは、この本を読んだ意味がない。それどころか、読まなければ良かった。
「自分に何かできることはないのだろうか…」
そう思いながら、もう一度最初のページから読み返していくと、ある一節が目に飛び込んできました。
明日に続けます。