ハッピーエンド! といってもいい
こんばんは。
綾小路きみまろさんの著作『しょせん幸せなんて自己申告』から、きみまろさんの半生を振り返っています。
昨日は「キャバレー」の歴史についてお伝えしました。
「キャバレー」と聞いて何を思いつくのかは人それぞれかもしれません。
ミュージカル「キャバレー」を思い出すといった、ハイソな方もいれば、「キャバクラ」を思い出すお父様方もいらっしゃると思います。
今や過去のものとなってしまった「キャバレー」は「キャバクラ」とは違い「芸事」が催されていたんですね。
ボーイとして働くようになったとはいえ、この世界に足を踏み入れたのが、現在の「綾小路きみまろ」という芸人の存在に結びついたことは間違いありません。
続いての文章ももう一度見て見ます。
・ボーイとして入ったにもかかわらず、ひょんなことから司会進行を任されることになった。その後場所を転々としながらも、キャバレーの司会者をかれこれ10年。これをきっかけに後に森進一の歌謡ショーの司会を任される。
ボーイとして入ったはずが、ひょんなことから司会進行を任された。この「司会」という仕事を始めるのが、本当の意味での芸人きみまろさんの出発点といえるでしょう。
おそらく、はなし家としての素質・素養はお持ちだったのでしょう。それを見抜かれて、司会進行へと抜擢された。司会という役割が引き寄せられてきた。まさに「縁」が導いた。これを「運」と呼ぶこともできるでしょう。
キャバレーの司会者を10年。
しかも一か所ではなく、場所を転々としての10年。
20代の10年というのは、その人の仕事における成長にとって本当に重要な時期ですよね。その10年をキャバレーの司会者として過ごした。「自分の腕で食っていく」という、いわば職人のような生き方をされた。この10年で腕を磨き、はなし家としての技量を大きく向上させていった。
この10年は後の芸人「綾小路きみまろ」さんを形作った貴重な時代であったことは間違いないでしょう。
そして、森進一さんとの出会い。
森進一さんの歌謡ショーの専属司会者となるのです。これも運ですよね。
キャバレーの司会者というポジションは不安定な職業。大歌手の専属司会者は、よほど安定的なポジションです。しかも森進一さんという大スターの専属司会者ですから。傍から見れば大出世と言っていいと思います。稼ぎがどうなったのかは分からないのですが、恐らくだいぶ増えたんではないですかね。
めでたし、めでだし。
ハッピーエンドのストーリーとしてこれで完結しても良いですよね。
新聞配達をする苦学生からキャバレーのボーイを経て人気司会者に。そして大スターである森進一さんの専属司会者となった出世物語。
でも、これでは終わらないのです。
明日に続けます。