年齢は関係ない
こんばんは。
綾小路きみまろさんの著作『しょせん幸せなんて自己申告』から、きみまろさんの半生を振り返っています。
この文章を改めて。
・ボーイとして入ったにもかかわらず、ひょんなことから司会進行を任されることになった。その後場所を転々としながらも、キャバレーの司会者をかれこれ10年。これをきっかけに後に森進一の歌謡ショーの司会を任される。
森進一さんといえば当時の大スターです。そんな大スターの歌謡ショーの専属司会者というポジションまで上り詰めた。大出世物語として語られていいでしょう。ハッピーエンドのストーリーとして成り立つでしょう。
でも、ここできみまろさんはストーリーを終わらせなかった。きみまろさんにとっては決してハッピーではなかったんです。
・「このまま中年になっても歌謡ショーの司会を続けていいのか」という焦り。
歌謡ショーの司会者というのは、歌手が作品を歌う前の前奏の時間や、曲と曲の間の時間を担う大切な役割を持っている。特に10〜30秒ほどの前奏が流れる間に、その歌を引き立てる言葉を紡ぎ出し、その歌を盛り立てる。
司会者によって、そのショーが全く違ったものになるんです。当時は名司会者と呼ばれる方が何人かいらっしゃったことからも分かるように、昭和の時代に全盛であった「歌謡ショー」という分野において、大きな役割、地位を持っていたんです。
でも、きみまろさんは、そんな「歌謡ショーの司会者」に100%満足していたわけではなかった。「このまま続けていいのか」という焦りすら感じていた。
そして次の文章。
・「漫談家として身を立てたい」という思いがふくらむ。自作の漫談を吹き込んだカセットテープを配り歩くのが日課に。毎晩テープをダビングし翌朝高速道の大きなサービスエリアで観光バスに配る。このときすでに40代後半。これが芸人綾小路きみまろの出発点。
この文章にも元気をもらいました。「すごいな〜」と心から感心させられる。
「とても自分にはできないな〜。」と冷静に考えながらも、「そんなに小さくまとまっちゃいけないんだ!」と自分を鼓舞する。
だって、40代後半ですよ。毎晩テープをダビングして、そのテープをサービスエリアで配る。こんなことができますか?
この行動力。自分の夢に向かって諦めない精神力。本当に凄い。自分にはまねできない。でも、そんな人生を歩みたい。諦めの人生を送ってはいけないんだ!
といろいろと考えてしまいましたw
自分の夢をあきらめない。
行動する。
年齢は関係ない。改めてそう感じる文章。勇気をもらいました。