「行動と見識」KOUSHIのブログ

行動と見識で人生を豊かにする

嘘でもいいから、そう思ってみる

 

こんばんは。

綾小路きみまろさんの『しょせん人生なんて自己申告』からの心に響く言葉。

 

今日から「人間関係について」の章に入っていきます。

 

人間関係は、良くも悪くも私たちの生活とは切っても切り離せません。私たちは一人では生きていけません。他人と関わることがどうしても必要になってくる。

人間関係が満たされていると、充実していると、幸せを感じる時間が多くなる。生き易くなる。つらさや怒り、妬みといった感情を持たない。これが最も幸せに寄与するのではないでしょうか。

本当に良好な人間関係を持つことができれば、それだけで幸せ。地位もお金も名誉がなくても、人間関係に恵まれていればヘルシーな精神状態で生きることができる。逆にお金がいくらあっても、人間関係に問題があれば、幸せから遠ざかる。

人間関係こそ、幸せに影響を与える最たる要素といえるでしょう。

 

一方で、人間関係は私たちの悩みの筆頭にあがるもの、というのが現実。だから、幸せじゃない人がこれほどまでに多い。

きみまろさんは、人間関係について何を語っているのか。

さっそく最初の文章を見ていきましょう。

・嫌な人間はどこにでもいます。そういう人ほど、じつは近くで支えあって生きているんです。

 

嫌な人間はどこにでもいる。

これは真実ですよね。あなたの人生を振り返ってみればわかると思います。

好きな人、一緒にいて居心地がいい人。そんな人達だけに囲まれて生きてきた、という人はいないと思います。

嫌な人から離れる、距離を置くことができる。そんな環境であればありがたいのですが、現実はそうではありません。

クラスメートや先生は選べない。会社の上司や同僚は選べない。ご近所さんも選べるわけではない。そんな環境においては、合わない人や嫌な人とどうしても付き合っていかなくてはいけない。これが現実ですよね。

 

そういう人ほど、じつは近くで支えあって生きているんです。

 

嫌な人は嫌な人。私たちは、こう考えてしまいがちです。考えるというよりも、そう感じてしまうというほうが適切でしょうか。

「あの人は嫌な人だ」と繰り返し思ってしまうと、それがデフォルトとして確立してしまう。それ以外の可能性が見えなくなってしまうんです。その人の嫌な面しか見えなくなって、ますますその人を嫌いになっていく。

 

その状態を打ち破るには、その凝り固まった思いを無理やりにでも壊す必要がある。

その手段として「そういう人ほど、実は近くで支えあっている」と思ってみることは有効かもしれません。本当にそう思えなくてもいいんです。いや、本当にはそう思えないでしょう、実際のところ。嘘でもいいから、そう思ってみる。その嫌な人と会うたびに「この人と私はささえあっている」と思ってみる。これを毎回繰り返す。

 

そうすると、その人のいい面が見えてくる。実は支え合っているのかも、という面が見えてくる。

結局は、見方の問題なんです。他人をネガティブな色眼鏡でみるか、そう決めつけてしまうか。ポジティブな視点で、良い面を探してみるか。

これが全ての嫌な人に通用するかと言えば、疑問符が付きます。どうしても許せない奴はいますからねw

でも、試してみる価値はある。騙されたと思ってやってみましょう。人生が変わるかもしれません。

 

明日に続けます。

 

 

 

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