「添え物」について考えてみる
こんばんは。
綾小路きみまろさんの『しょせん人生なんて自己申告』。
今日から「努力について」の章に入っていきます。
・ずっと誰かの「添え物」の人生でした。
きみまろさんの半生を振り返ってみると、この言葉の意味が理解できます。
キャバレーのボーイとして働いていたときに、司会者としてのポジションをつかむ。
でも、キャバレーの司会者は脇役でしかない。主役は、あくまでも演者さん。
もっといえば、演者さんですら主役ではない。お客さんは何のためにキャバレーに来ているのか? 必ずしも演者さんを見るためではありません。お目当ての女性に会いに来ているんですね。
演者には興味がない。どうだっていいと思われているかもしれません。いわんや司会者をや。司会をお目当てに来るお客さんはいないでしょう。
その後「縁」をきっかけに森進一さんの専属司会者になったきみまろさん。
キャバレーの司会者よりはよほど恵まれた環境であったことは間違いないでしょう。森進一さんは当時の大スター。収入も大幅にアップしたはず。そして注目度が大きく異なる。お客さんは森進一さんに会いに彼のリサイタルに足を運ぶ。キャバレーのお客さんとは全く異なります。
森進一さんのショーをいかに盛り上げることができるか、が司会者の腕の見せ所です。演者と一緒にショーを作り上げる存在とも言えます。
森進一さんのファンの中には、きみまろさんの存在を認めていた人、きみまろさんのファンであった人もいると思います。
でも、あくまでも主役は森進一さんなんです。きみまろさんは脇役でしかない。彼の言葉で言えば「添え物」でしかない。
誰かの「添え物」として生き続けてきた。このままの人生でいいのか。葛藤があったと思います。そして行動をおこされたんですね、きみまろさんは。
ある意味「司会者」が「添え物」であるというのは分かりやすいのですが、もっと身近な環境を見てみましょう。
「どのように働いているか」を見た場合に、日本ではサラリーマンがいまだに大多数を占めます。フリーランスや自営業者、経営者の割合は、他の先進国と比べると圧倒的に小さいのが実情。
この働き方の中で、自分の人生の「主役」を張っている人はどのくらいいるのでしょうか?
「雇われる」働き方。ここで主体的に生きている人はどのくらいいるのでしょうか?
そして、「人生を楽しんでいる」と感じている人はどのくらいいるのでしょうか?
「お金を稼ぐためにはしようがない」
「生きていくためにはしかたがない」
こうあきらめてしまっている人が多いように感じませんか?
主役を張ることを端から諦めている。「添え物」であることに甘んじている。その状態を「しかたがない」ものとして諦めている、受け入れている。
あなたの場合はどうでしょうか?
・ずっと誰かの「添え物」の人生でした。
この言葉がそっくりそのまま当てはまる人生。そんな人生を送っている人が多数派を占めるような気がしてなりません。