できないから、やれることを考えるようになる
こんばんは。
綾小路きみまろさんの『しょせん幸せなんて、自己申告』から、心に響く言葉をお伝えしています。
今日は「健康と老い」の章から、こちらの文章を紹介します。
・他人をうらやんだところで、どうせ死亡率は100%。しょせん幸せなんて、自己申告です。
この書籍のタイトル『しょせん幸せなんて、自己申告』は、この章の文章からとられたのですね。
ようやく登場といった感じがします。この言葉が当てはまる部分はこれまで山ほどあったのに、というよりは、この本に書かれていることすべてにあてはまるのに、きみまろさんが使ったのは「健康」の部分においてだった。何か感慨深く感じました。
編集者さんがこの言葉をタイトルに選んだのでしょうか? それともきみまろさんご自身が? いずれにしても、この言葉をタイトルに選ぶのはさすがだな~と感心します。
健康は大切。このことは歳を重ねるにつれて身にしみて感じることになる。その重みを否が応でも味わうことになるからです。やはり、人間は体験しないと分からないんですよね。
この書籍を書かれたときのきみまろさんは67歳。もっとお若く見えますが、やはり60代後半にもなると、健康の重みを強く感じていらっしゃるのでしょう。『しょせん幸せなんて、自己申告』という言葉が「健康」の部分で用いられていることが、そのことを示しています。
きみまろさんは健康オタクのようです。健康への配慮は人一倍。だからお若く見えるんですね。
舞台で1時間立ち続けしゃべり続ける。これはかなりの体力を消耗する。だから、健康についての情報収集は欠かさない。そして、毎日1時間近くを歩く。歩数にして8000歩。意識しないと到達できない歩数ですよね。60代後半で1時間近く歩くとは恐れ入ります。
そんなきみまろさんですが、思うに任せないことが増えていくのを感じていらっしゃるようです。若い頃にはできていたのに、老いるに従ってできないことが増えていく。でも、それを否定的に捉えない。
きみまろさんはおっしゃいます。
・できないから、やれることを考えるようになる。
・日陰に生まれた木々が、光を求めて枝葉を伸ばしていくように、人それぞれ抱える問題が、その人の人生を独自の形にしていく。
・できないことが、人間を成熟させるのですね。
と。
「できないから、やれることを考えるようになる」
これは老いを迎えると、自然と身に付く考え方のような気がします。あくまでも私感ですが。
というのも、歳を重ねていくと心が穏やかになっていくお年寄りの方を多く見ているからです。心と体はつながっています。一心同体。
体でできないことを認めざるを得ない。いわば「諦め」を受け入れるようになる。言い換えれば「足るを知る」境地に入っていく。そうなると、精神的な平和を得られるのではないでしょうか。
これも個人差がありそうですから、すべての人には当てはまらないかもしれません。
いくつになっても、若かったころの自分にしがみつこうという人もいるでしょう。若かったころの美貌が忘れられなかったり、体力が忘れられなくてつい無理してしまったり。そんな方もいらっしゃるでしょう。その生き方も否定しませんが、あまり幸せではないような気もしますね。
あなたはどう感じますか。