一方の大人は、というと…
こんばんは。
「幼児性」の三つの中身。
その一つ目は、大人と子供の認識の違い。昨日は、子どもの世界観についてお伝えしました。
今日は、楠木建さんがいう「大人」の説明について見ていきます。
一方の大人は、「基本的に世の中のすべては自分の思い通りにならない」という前提を持っているものです。
明快ですね。子どもが「すべてが自分の思い通りになる」という前提で世界を見ている。それに対して、「自分の思い通りにはならない」という前提を持っているのが「大人」。
「すべては自分の思い通りにならない」という文章の「すべて」は少し言い過ぎな感もありますが、「基本的に」という言葉でそれを和らげている。私にはそう感じられました。
この表現には、楠木建さんのお考えが大きく反映されているように思うんです。氏の著作をほとんど読んできたうえで、そう感じます。また、最新刊である『絶対悲観主義』を読んで、そのことを改めて感じもしました。「何ごとも自分の思い通りにならない」という前提で生きるのが「大人」の条件であるだけでなく、「人生を生き易くする」鍵である。私もこの考えには大賛成です。
続く文章を見ていきます。
これだけ多くの人間が、それぞれ違う好みとか目的を持って、利害のある中で生きている。世の中で自分の思い通りになることなど、ほとんどありません。
「なんでも思い通りになる」ことを疑うことのない子どもは、成長の過程で「思い通りにならない」現実と向き合うことを余儀なくされます。そうやって少しずつ「大人」になっていくんですね。
理屈として理解しているのではなく、経験の中で、体験の中でそう感じ、学んでいく。そうやって社会に適応していく。
誰もが、こういう過程を経て青年、成人へとなっていくのですが、そう感じる度合いは人それぞれでしょう。わがままに育てられて「ほとんどのことは自分の思い通りになる」という前提が変わらないまま大人になる子どももいれば、「すべてが自分の思い通りにはならない」と過度に悲観的な考えを抱くに至る子どももいる。このバランスが難しいところです。
ベストなのは、「他人に頼らずに、他人を害せずに、自分の力で自分の思い通りの世界を実現する」経験を重ねながらも、「世の中は自分の思い通りにならないことがある」を体験し、かつ言葉としてそれを理解しておくことではないでしょうか。
前者の、自信・自尊心という、自分の人生を前向きに、かつ強く生きていくために必要な要素を育むこと。同時に、後者の「世の中の現実」を認識すること。この二つが両方必要だと思います。
後者の「世の現実」を認識するためには、体験に加えて、言葉として理解する、というところがポイント。どちらかだけでは心身で納得するレベルにはいけないですから。
あなたはどう考えられますか?
明日に続けます。