「完璧はそもそも不可能である」という前提で生きる
こんばんは。
期せずして「快心の睡眠」を得ることができたという経験。
ここから得られた三つの教訓。
・強制力を利用する
・完璧でなくてもよい
・成功体験を得る
これらは睡眠にとどまるものではなく、私たちが望むものすべてに活用できる。
これまで1つ目の「強制力を利用する」についてお話してきました。
今日は2つ目の
・完璧でなくてもよい
について。
私の快眠体験で言えば「缶ビール1本だけを飲んで寝た」という行動。
これは「寝る2時間以上前に夕食を済ませる」というルールからは逸脱しています。寝る直前にアルコールを摂っているので、このルールにあてはめて考えるのがそもそもおかしいくらいw
でも、ふだんの私の行動習慣、つまりは、寝る直前までお酒とおつまみを思う存分楽しむという行動に比べれば、大幅な改善です。
完璧を求める。
この言葉をあなたはどう捉えますか?
高みを目指すことで、成長することができる。それは真実でしょう。平凡ではなく非凡を目指すのであれば、完璧を求めることが必須といえるかもしれません。
でも、「完璧を目指す」ことで、行動に着手できなくなってしまったり、行動をやめてしまったりする、そういうネガティブな方向に引きずられてしまうこともありますよね。
完璧にできなかったことで、自分を責めてしまう。これがモチベーションにつながることがある一方で、モチベーションを挫いてしまうこともある。
「完璧はそもそも不可能である」という前提で生きる。
これがベストな考え方だろう、と思っています。特に最近になって。歳を重ねて丸くなったのかもしれません。妥協を積み重ねてきたからそう感じるのかもしれません。
完璧を求めると、生き方が窮屈になる。不満からは逃れられない。
それよりも、完璧でなくても小さな改善をたたえる。そうすると、満足感を得ることができる。のびのびと生きる感覚を得られる。
「完璧はそもそも不可能である」は「完璧を求めるのをやめる」とは少し異なります。必ずしも完璧を放棄しなくてもいい。完璧を目指してもいい。でも、完璧に固執して自分を責めるのをやめましょう、ということです。
完璧にできなかったとしても、完璧には近づいた。こう考えると前に進むことができる。歩みを止めずに済む。
もっと進んで「そもそも完璧を目指さない」。これもいいんです。実際のところ、完璧というのは無理なんですから、何ごとにおいても。完璧な一日を過ごす、完璧なパートナーと巡り合う、完璧な仕事に就く。一点の曇りもない対象があるでしょうか。
「完璧というものはない」という前提は、ストレスを減らし、不満を減らし、日々を生き易くしてくれる。そう思います。