人は「若さ」を求める
こんばんは。本日もお立ち寄りいただきありがとうございます。
2021年に購入したベストアイテムといっていい体組成計。
初回のデータ測定において感じた嬉しい体験についてお話してきました。体験と言っても小さなことばかりで、一般的なレベルで考えれば、わざわざ「体験」というべきものではないでしょう。
でも、自分にとっては、それはまさに体験でした。しきい値が低いと感動を覚える機会が多くなるな~、と前向きに捉えるようにしていますw
スマホのアプリに転送されたデータを眺めて、一つ残念なことに気付きました。といってもアプリ自体が残念ということではありません。一つのデータが自分にとって良くなかった、ということです。
そのデータとは「体内年齢」。
これが大幅に悪化していたのです。
悪化といっても、実年齢を大幅に超えているわけではありません。実際のところはまだ実年齢以下なので、全く気にすることではないのかもしれません。
でも、以前の体組成計では、実年齢よりかなり若い数値が示されていたのです。最近、つまり故障する前の約半年前頃までは20代半ば。もっと以前になると18歳とか19歳とかいうデータが続いた時期も。まあ、これは余りにもおかしいので、恐らく何かの間違いだったと思うのですが、仮に間違いだとしても、その数値が表示されるのが嬉しかった。
「俺はまだこんなに若いんだ!」と自己満足、自己肯定ができる一瞬だったのです。我ながら単純な性格です…。
人は(正確にいえば、私は)若さを追い求める生き物。歳を重ねていき、中年を超えていくと、年々この傾向は強まっていきます。
見た目の「若さ」を気にする度合いは各人によって差があるように感じますが、いかがでしょうか。若作りをすることにちゅうちょを覚えない人もいるでしょうし、年相応の見た目を好む人もいます。まあ、度合いの差はあれ「若々しくみられる」ことを多くの人が求めていのは確かでしょう。
一方、肉体的な「若さ」、つまり「健康」を大切に捉えるのは、その度合いの差が小さいように感じます。みな「健康でいたい」という思いは強く持っている。中年になって、体の不調を感じるようになると自然とそうなるのかもしれません。
体組成計生活を再開してから、こんな考えを巡らせてしまったわけですが、こうやって若さや健康について考える時間を持つのもいいものだな~と自己満足。「健康意識が高まる」こと。体組成計生活がもたらしてくれる一番のメリットだと思います。
話を戻します。
自己満足ではなく、自己を卑下しそうになってしまったのが、体内年齢のデータ。
「俺はこんなに歳をとったのか…」
と寂しさを感じたのでした。(単純な性格ですみません。)
で、ここではたと気づいたのです。
「そもそも体内年齢って何の年齢だろう」と。
明日に続けます。