日本にもいる「遅咲きの成功者」 波乱万丈のストーリー
こんばんは。
遅咲きの成功者。
彼らに共通するのは不屈の精神。宝くじが当たって棚ぼたで大金持ちになったのではない。努力を重ねて諦めず戦いつづけたからこその結果。このことを見逃してはいけません。
「楽して晩年に大金持ちになる」は「大器晩成」とは異なるストーリーです。(まあ、こういったストーリーも羨ましいですが…)
日本にも、希望を与えてくれる「遅咲きの成功者」は多い。
「大器晩成」の物語を生きた人たちを見ていきましょう。
・安藤百福
インスタントラーメンを発明した、日清食品の創業者。2018年に放送されたNHK連続テレビ小説「まんぷく」は記憶に新しいですね。
1910年日本統治時代の台湾で生まれた百福氏の生涯は波乱万丈。
20代から事業を始め実業家として大きな成功をおさめます。この段階では「大器晩成」のストーリーとは相いれない歩み。しかし、その人生は順調には進みません。
戦時中には、国支給資材の横流しの疑いから拘束され45日間にあたる激しい拷問を経験。戦後は脱税疑惑でGHQに逮捕されます。いずれも嫌疑は晴れて無罪釈放されたものの、1957年には全財産を失う羽目に。
懇願され理事長に就任した信用組合の破綻によるものでした。
この時百福氏は47歳。これほどの不幸を経験し、それまで築き上げてきた財産を失えば、47歳から再起を図るのは困難と思えます。
しかし彼は違いました。多くの成功者に共通する前向きな考え方で再び前に進み始めます。彼の「失ったのは財産だけではないか。その分だけ経験が血や肉となって身についた」という言葉は有名ですね。
自宅に建てた小屋にこもりインスタントラーメンの開発を始めた百福氏。1年間にわたり毎日朝は5時から夜中過ぎまでの格闘。1日の睡眠時間は3時間ほど。50歳近くでこの気力と体力。真似できるものではありません。
戦後の大阪の闇市でのラーメン屋台の長い行列。この記憶がインスタントラーメンをつくる情熱へとつながったのでした。この時の百福氏にラーメンについての知識は皆無。彼が持っていたのは情熱だけでした。
そして、翌年48歳で世界初の即席ラーメン「チキンラーメン」を完成させ大ヒットさせるのです。
さらには61歳でカップヌードルを作り上げます。
今私が楽しんでいるチキンラーメン、カップヌードル、そしてこれらに続く数多のインスタントラーメンは、安藤百福氏の「大器晩成」の物語の中に刻み込まれている。
こう考えると、格別な味わいを感じませんか。
これまで3人の「大器晩成」を生きた偉人をお伝えしてきました。ケンタッキー・フライド・チキン、マクドナルド、そしてチキンラーメンとカップヌードル。どれも私たちの生活の一部になっています。一つの文化を作り上げた彼らはいずれも遅咲きの人であった。
私たちの身近な商品を作り上げた存在として、彼らを引き合いに出しました。
身近な存在ではありませんが、私がご紹介したい人がもう1人います。学校の歴史の授業でならったので誰でも知っている人ではありますが、「歩く」ことと関連しているので特に惹きつけられる人物なのです。
明日に続けます。