「歩く」ことは「偉業」につながる
こんばんは。今日もお立ち寄りいただきありがとうございます。
今日は訳あって記事アップが遅くなってしまいました。気を取り直して書いた記事。今日もお付き合いいただけると幸いです。
私が好きな「大器晩成」の具現者。
その人は伊能忠敬です。
日本人なら誰でもご存じの歴史上の人物、伊能忠敬(1745~1818)。
言わずと知れた、日本の歴史上はじめて科学的な測量を全国にわたって行い、日本全土の地図を作成した人物ですね。
彼が測量を始めたのがなんと55歳。そこから17年の歳月をかけて全国測量を完了させます。
彼の生き方に感じる魅力について見ていきましょう。
・学問についての情熱を失わず隠居後に勉学に励む
婿入りした伊能家で商才を発揮した忠敬。49歳で隠居した時には3万両もの財産を有していたと言われています。これは現在の価値で30~60億円ともいわれています。これだけだと「大器晩成」という感じはしませんが、まだ物語は序盤を迎えたばかり。
伊能忠敬は49歳で学問に勤しむ決断をします。実業の合間に天文学の勉強などを行っていた忠敬は、隠居後に天文学を本格的に学び始めるのです。30億円もの資産があれば、悠々自適な隠居生活を送れるはず。でも忠敬は自身の情熱に従います。
・19歳も年下の師匠に弟子入り
忠敬50歳の時に、幕府天文方(現在でいう国立天文台長)の高橋至時に弟子入りします。彼は日本の天文学の第一人者。自身より19歳も年下の31歳の人物に弟子入りする謙虚さを持っていた忠敬。高橋至時という師匠への弟子入りが、伊能忠敬の名が日本史に刻まれる原動力となりました。彼は人との出会いを逃さなかったとも言えるでしょう。
・17年間の測量で歩いた距離は地球一周分
伊能忠敬が実際に測量を始めたのが55歳の時。1800年に江戸の自宅から蝦夷地へ向けて出発が始まりで、その後10回にわたって測量の旅に出向きます。72歳で測量を完了させるまでに約4万キロを歩いたと言われています。
50代半ばから歩き続けて偉業を達成した。晩年を迎えてからの圧倒的な努力。私たちはこの部分に一番惹かれるのです。
隠居後に新たな挑戦を始める気概。作家の井上久は昭和52年に『四千万歩の男』を『週刊現代』に連載しました。平均寿命が延び、高齢化社会を迎える日本において、伊能忠敬の生き方が改めて評価される。人生100年時代と言われるようになった今こそ、彼の生き方にさらに注目が集まっていくでしょう。
歩いて日本全国を測量するという、前代未聞の取り組み。それを晩年から始める気概と情熱。
「今からでも遅くない」という言葉に最もふさわしい人物。彼の生き方を知ると、自信の生き方の生ぬるさあらためて、前に進んでいこうという気持ちになります。
何よりも「歩いて偉業を達成する」という具現者の存在が嬉しい。「歩く」ことは「偉業」につながるのです。
私たちも「歩み」を止めずに続けていきましょう。いつか偉業が実現すると信じて。