『人生で起こること すべて良きこと』を締めくくる熱い文章
こんばんは。
長きに渡り、田坂広志さんの書籍『人生で起こること すべて良きこと』からの学びをお伝えしてまいりました。いかがでしたでしょうか。
本書のクライマックスと呼べるべき部分の詳細についての説明は控えましたので、すべてをお伝えはできていないと思います。
ご興味を持たれた方は、ぜひ本書を手に取っていただき、自らご自身で田坂広志さんの言葉から学んでいただきたいと思います。その方がよほど分かりやすく、学びが大きいと思いますからね。
本書のクライマックスの部分の記述を控えたのは、先に述べた通り、私がまだ「死生観」を確固たるものとして持っていないから。
田坂広志さんは、ご自身の「死を感じる」体験から「死生観」について書かれています。
幸いなことにこれまで私は大病を患ったことはありません。実際に死と向き合うような体験をしていないのです。この意味で、田坂さんの文章から「気づき」を得たとは言えない。だから、知った知識だけを書くのは止めよう。それは頭で理解しただけの知識で、自分の心身に染みこんでいるものではないのだから。
でも、氏の文章を読んで、その熱さを感じ、残りの人生を真剣に生きなければいけない、という感覚を抱きました。それが単なる知識にしか過ぎないとしても、この学びは大きかったように思います。
この文章を読まなかったら、今後自分が死と対面するような場面で、怯え恐れるだけになるかもしれません。
最後に、その熱い文章をいくつか引用して、本日の記事、そして田坂広志さんの『人生で起こること すべて良きこと』からの学びの記事を終えたいと思います。
今生きている。それだけでありがたい。「大病になって生命の有難さが分かる」。病とは「福音」なり。
「大病の経験」が与えられたとき何を掴むか。「死生観」である。すなわち人生において「死」というものをどう見つめるか、与えられた「生」をどう生きるか。その覚悟。
「人間死ぬまで命はあるんだよ!」という言葉に続けて語られたもう一つの言葉。「過去は、無い。未来も、無い。あるのは永遠に続くいまだけだ。いまを生きよ!いまを生き切れ!」。あの日からそう思い定め「もう自分の人生・命は今日一日しかない」と覚悟を定め、一日一日を精一杯に生きてきた。
いま、一つの人生を終えようとしている。お前、もし、お前がこの人生と全く同じ人生をもう一度生きよ、と問われたならば、「しかり」と答えることができるか。
人生で起こること すべてに深い意味がある
人生で会う人 すべてに深い縁がある
人生で起こること すべて良きこと