多くない時間」に「少なくてもいいから重要なもの」
こんばんは。
「単調」は「繰り返し」の敵。
英語学習においても、このことはあてはまりますね。
でも、私がお勧めしている「一日中同じ英語音声を繰り返し聞く」という「ゆるーい」多聴においては、「繰り返し」は敵ではなく味方になります。
だからこそ「一日中同じ英語を繰り返し聞く」ことで得られる「よく使われるフレーズは自然と覚えることができる」をもたらしてくれるのです。
昨日話したように、音声は「繰り返し」と相性がいい。音声は勝手に流れてきます。意識を向ける必要はありません。同じ音声がある程度の間隔で繰り返し流れてくる、つまり「単調」ではあるのだけれど、それに集中力を使う必要もない。だから本当に楽です。
意識を向けていないので、まったく「聞いていない」時間というのは存在します。何か別のことに意識を向けていたら、音声が流れているのは感じていても、その単語や文章、ましてやそれらの意味は全く分からないでしょう。いや、分かろうともしていない、というのが正確でしょう。これらの時間は、「まったく英語を勉強してない」時間といっていいでしょう。
でも、一日中何か別の事柄に意識を向け続けているわけではありませんよね。
いくら真面目に勤勉に何かに取り組める人でも「ホッと一息」という息抜きの時間はあるでしょうし、大多数の人は、一日の大半が「息抜き」の時間かもしれませんw
特別に何かに取り組んでいないとしても、私たちは何かしら思考を巡らせています。次から次へと思考がいろいろな方向に飛んでいく。そんな時間も英語を真剣に聞けていないでしょう。でも、それらのあまたの思考の間に空白の時間はあります。
または、リラックスしている時間もあるでしょう。そういう時間は比較的英語を聞きやすくなっているかもしれません。真剣に聞いていなくても、自然と英語が入ってくる、といったほうがより正確でしょうか。
その質と量はまちまちだとしても、「「一日中同じ英語音声を繰り返し聞ける」環境を作っておくことで、そのような時間に英語音声を捕まえることができるのです。
そして、ここで「繰り返し」が活きてくる。
英語を捕まえられる時間は多くないかもしれない。その「多くない時間」に多くのことを詰め込もうとすると無理が生じます。「多くない時間」に「少なくてもいいから重要な単語やフレーズ」を聞くことであれば難しくありません。
一つのテーマの音声であれば、例えばそれがビジネス書の音声だとすれば、著者が好んで使うフレーズを何度も聞くことになる。かつ、その一つの作品を「繰り返し」聞くので、否が応でも、その「フレーズ」を何度も聞くことになり、自然と耳に残るようになるのです。
明日に続けます。