「行動と見識」KOUSHIのブログ

行動と見識で人生を豊かにする

「成功」について考える

 

こんばんは。

綾小路きみまろさんの『しょせん人生なんて自己申告』から心に響く文章をお伝えしています。

昨日までで「成功について」の章を終えました。

 

「成功」とは何か?

このことについて改めて考えてみました。

 

デジタル大辞泉によれば、

  • 物事を目的どおりに成し遂げること。
  • 物事をうまく成し遂げて、社会的地位や名声などを得ること。

の2つが書かれています。

 

ビジネス書や自己啓発系の本で語られる「成功」は、主に2の意味でしょう。

これらの書籍は「成功するためには」こういうことをする必要がある、もしくは「成功者になるためには」こういうことをする必要がある、といった教えを説き、個々の成功を積み重ねて、「成功の状態」を勝ち取ることを目的としていますから。

 

今回辞書で「成功」を調べて驚いたことがあります。何を隠そう、「成功」を辞書で調べたのは初めてかもしれませんw それほど「成功」という言葉が身近にありつづけていた。辞書を引く必要もないくらいに。

 

何に驚いたのか?

それは経済的な側面についての記載がなかったこと。

 

「成功」というと「経済的成功」を意味する。私はそう感じていました。

本来は「社会的地位や名声を得る」ことが成功であって、「財を成す・お金持ちになる」ことは必ずしも成功ではなかったのかもしれません。

現代になって、とくにここ数十年の富の集中と格差拡大の時代において、経済的な側面が強調された結果なのでしょうか。

名声や社会的地位を得ることによって得られる財の規模が段違いで大きくなっているから、と言えるかもしれません。

 

「成功者」=「お金持ち」

こう感じている人は多いような気がします。あなたの場合はどうでしょうか?

 

あながちこれは間違いではありませんよね。世にいう「成功者」はだいたいお金持ちです。経済的に豊かでない成功者というのもイメージしにくい。

 

「成功したい」=「お金が欲しい」

ともいえますかね。

 

こう考えてしまうのは、「お金に縛られている」からでしょう。

 

「お金さえ手に入れればそれでいい。」

「お金を儲けることこそが成功なんだ。」

 

目的が「お金」になってしまっているんですね。こういう考え方が主流になっているような気がします。なにか寂しさを感じますね。

「成功の結果として、お金がついてくる」のであって、決して「お金を手に入れることが成功」ではないのに。

 

きみまろさんの書籍の中に「お金を追い求めるのをやめた」という文章がありました。

本来であれば、「お金」は「成功」とは関係がない。むしろ、「お金」が「成功」を遠ざける場合がある。

 

きみまろさんのように本来の成功を目指したい。そう思います。

 

あなたはどう感じますか?

 

 

 

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意地を手放すのか、意地をはるのか

 

こんばんは。

『しょせん人生なんて自己申告』の「成功について」の章からの心に響く文章。

 

今日はこの章からお伝えする最後の文章になります。

 

・夢を叶えるためには、底なし沼に小石を放り込むような努力を続ける。何があっても1%の意地だけは手放さない。先の見えない暗闇でも、小石を投げ続ければ、やがて立ち上がるための「土台」ができる。

 

これは昨日お伝えした下記の文章の続きです。

・作ったネタ帳は段ボール10箱分。誰かがほめてくれるわけではない。手ごたえだってない。こんなことをして意味があるのだろうかと不安にもなる。

この文章を「底なし沼に小石を放り込むような努力を続ける」という文章に置き換えていらっしゃるのですが、この比喩が努力の重みをより読者に思い知らせていると感じます。本当の努力とはこういうものなんだ、と。

 

出口があると分かっていると、希望を感じることができる。そうすれば、小石を投げ続けることはできるかもしれません。

でも、先の見えない暗闇で努力を続けることができるか。ここが成功できるかどうかの分岐点。

底なし沼に小石を投げ続けても意味がない。ふつうはそう考えてしまいますよね。だって、底なし沼なんですから。石を投げ続けたところで、いつまで経っても何も変わらない。何の意味もない。やめたくなってしまって当然。

 

こういう時には、得てして「諦めが肝心」という言葉が自分の心に忍び込んでくる。その言葉に従ったほうが賢明だと思ってしまう。出口の見えない暗闇を歩き続けてきた年月はもったいないけれど、これ以上歩いて、これ以上の時間を無くすことはできない。確かに賢明かもしれない。

 

きみまろさんが、ここで諦めなかったのは「1%の意地」を手放さなかったから。

「意地」にはネガティブなトーンも含まれます。「意地をはる」というのは処世においては得策ではないという意味合いを持っている。

でも、こと「自分の夢を追う」という大目標においては、「意地」は必要不可欠なものであると感じます。逆にいうと、意地がなければ続けられない、ということです。

 

諦めるのか、続けるのか。

意地を手放すのか、意地をはるのか。

 

これは難しい判断です。どちらが正解とは言い切れない。その人、その時によってとるべき方向は異なる。

でも「諦めない」という選択をしたほうが、悔いはないと思いませんか? 諦めてしまうと、どうしても「もし続けていたら」と何度も思い返すことになると思うんです。後悔の念を持ち続けると思うんです。

それであれば、「諦めない」ほうがいい。うまくいくかどうかは分かりません。

でも、諦めないことで成功した人がいる。きみまろさんのこの言葉を胸に抱きながら、前に進んでいくことはできると思います。

・先の見えない暗闇でも、小石を投げ続ければ、やがて立ち上がるための「土台」ができる。

 

あなたはどう感じますか。

 

 

 

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「手ごたえがないこと」を続けることができるか

 

こんばんは。

綾小路きみまろさんの『しょせん人生なんて自己申告』の「成功について」の章からの心に響く文章。

今日お伝えする文章はこちらです。

 

・作ったネタ帳は段ボール10箱分。誰かがほめてくれるわけではない。手ごたえだってない。こんなことをして意味があるのだろうかと不安にもなる。

 

ネタ帳を作る芸人さんの話は聞くことがありますよね。

芸のネタを考えるというのは、本当に創造力が必要な営みだと思います。

例えばあなたが会社員だとしたら、あなたの仕事の多くの部分には、すでに何かしらのやり方があることが多いでしょう。それに倣って仕事を進める。そのような時間が多いと思います。

一方、芸のネタというのは、何かしらのやり方があるわけではありません。もちろん、型であったり、ある種のひな型であったり、フレームのようなものはあるかもしれません。また、過去のネタや他の芸人さんのネタを参考にすることはあるでしょう。

でも、芸で一番重要になってくるのは、その人のオリジナリティ。そのオリジナリティを見い出すための時間が主になる。自分の芸風にあったネタを作り上げる時間が主になる。

 

考えても考えても、いいネタが思いつかない、出来上がらない。そんな時間が繰り返される。

 

ひとつのネタをつくるのに自分の貴重な時間をかなり投入する、費やす。

さらに時間を注ぎ込み、もう一つのネタを作り上げる。一冊のネタ帳が埋まるまでにはかなりの時間を要することになる。

 

それが、段ボール10箱分。ノートだけで段ボール1箱を埋めるのにも数十冊、いや数百冊が必要になるかもしれません。

それが10箱分! とは驚くべき数。

 

しかも、そのネタは誰かが認めたものではない。これだけ作っても誰かがほめてくれたわけではない。これから認められるといった手ごたえもない。

そんな状況でもネタを作り続ける。これは本当に「不安」でかつ「孤独」な時間。「こんなことをして意味があるのだろうか」という思いがかすめることは幾度となくあったでしょう。

そんな時間を何年も、何十年も続ける。そんな不安と何年も、何十年も闘い続ける。

並大抵の精神力ではできない業。本当にすごい。

 

きみまろさんがいう「努力」は本物。生半可な努力ではない。

私の努力は、努力とは言えない。努力というのもおこがましい。恥ずかしい。そう感じざるを得ない。

 

きみまろさんのこの文章を読んで、安易に「自分は努力をしている」とは言えなくなりました。

喝を入れられましたね。

 

 

 

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この言葉を自分自身に言い聞かせることができるか

 

こんばんは。

『しょせん人生なんて自己申告』の「成功について」の章から心に響く文章をお伝えしています。

 

今日お伝えする文章にも喝を入れられることになりますので、心してお読みくださいw

 

・いくら頑張っても人から認められないのは辛い。

 

周囲から認められない。

当然のことながら、私たちは周囲の人たちとの関係の中で生きています。他者との関係のありかたが、私たちの幸せを決定づけるんですよね。結局のところ、人間関係が一番重要。

仕事においても人間関係が一番の肝。転職や退職の一番の理由は「人間関係」ですから。仕事ができたとしても報われるとは限らない。結局は人との関係に依るんですね、現実には。

少し話がそれてしまいました。

 

綾小路きみまろさんの人生の中でこの文章を見てみましょう。

いくら頑張っても、いくら努力を続けても、周囲から認められない。この「いくら」の期間が本当に長かったんです、きみまろさんの場合には。繰り返しますがメジャーデビューされたのが52歳。

いくら頑張っても周囲から認められない時期が続く。自分が報われない状況にある一方で、一緒にキャバレーのステージに出ていた芸人はテレビで人気者になっていたりする。これはつらい。

「こんなに頑張っているのに、なぜ俺は認められないんだ」という想いを何度も嚙み締められたのだと思います。

 

でも、つらさに打ちひしがれているだけではないのです、きみまろさんは。

この文に続く次の一文は、きみまろさんの強さを物語っています。

 

・しかし成功の鉄則は「要求する前に努力せよ」

 

自分に対して「要求する前に努力せよ」という言葉を言えるかどうか。その成否が、その人の強さを表すのではないでしょうか。

「努力は大切だ」

「努力は必要だ」

と頭で分かっていても、心が、身体が動くとは限らない。

順調なときは「努力」も苦にならないかもしれない。不調の時でも「希望」を感じることができれば「努力」はできるかもしれません。

でも逆境の時に、自分に鞭を打つことができるかどうか。自分に「要求する前に努力せよ」と言えるかどうか。

 

これができるかどうかで、成功をつかめるかどうかが決まる。

 

「要求する前に努力せよ」

 

あなたは、この言葉を自分自身に言い聞かせることができますか?

 

くじけそうになった時には、綾小路きみまろさんのことを思い出せばいい。

この言葉通りに実践し成功をつかんだ人がいる。このことが希望を与えてくれる。

「努力を続けることで、いつか成功できる」と自分を説得することができる。

 

そう思います。

 

 

 

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自分で自分をごまかさない

 

こんばんは。

昨日は『しょせん人生なんて自己申告』の「成功について」の章から次の文章をお伝えしました。

・芸人として表舞台で勝負しようと腹をくくったときに決めたことが一つ。お金を追い求めるのをやめた。お金のために、全国のキャバレーに出張して司会をしたり、日に何本も歌謡ショーの予定を入れた。目的が「芸人として売れること」ではなく「お金を稼ぐこと」にすり替わってしまう。

 

「お金」の力は本当に強いですよね。

「お金が稼げればいいんだ」と考えてしまうこともできたかもしれない。でも、きみまろさんは「覚悟」されたのです、「芸人として売れる」ために、「お金を稼ぐ」という考えを手放したんです。この「決断」はなかなかできるものではありません。

 

そして、今日お伝えするのはこの文章。

・自分で自分をごまかさない。実は目標をかなえる上で、これが一番むずかしい。

 

「自分で自分をごまかす」

他人にごまかされるのではなく、自分でごまかす。これは質が悪いですよね。うすうす「違う」と気づいている、いや「はっきりと」違うと感じていても、自分にごまかされることを選んでしまう。

あなたにも思い当たることはありませんか? 私はありますねwww

 

こと「お金」に関連すると、この「ごまかし」が幅を利かせてきます。

お金のために、本当は自分のやりたくないことを我慢してやる。お金のために、飯を食うために、自分のやりたいことを諦める。

こうやって、自分をごまかしている人のなんと多いことか!

 

妥協し続けていると、自分の本当にしたいことをやる気力ももはやわいてこない。

何度も「諦め」を経験していると、現実に妥協して生きていくことしか考えられなくなる。

 

生きるのは簡単ではありません。妥協も必要になってきます。世の中、綺麗ごとだけではありません。現実と折り合いをつけないといけません。

そうなると、自分で自分を慰めたくなってしまう。自分をごまかして「仕方がないんだ」と受け入れてしまう。

 

・自分で自分をごまかさない。実は目標をかなえる上で、これが一番むずかしい。

誰だって自分がかわいい。だから自分をわざわざつらい状況に追い込みたくはない。

「現実と折り合いをつけよう」と自分に言い聞かせてしまう。

「これが現実なんだ」

「世の中の多くの人がこうやって生きている」

「これ以上無理することはない」

「これまでよくやってきたよ」

という言葉を言い聞かせてしまう。

私たちは、こうやって易きに流れてしまうんです。「自分で自分をごまかさない」というのは本当に難しい。「覚悟」と「信念」がないとできません。「信念」を持ち続けないといけないんです、どんなにつらいことがあっても。

「自分で自分をごまかさない」

この覚悟が芸人 綾小路きみまろを表舞台に導いたのです。

 

勇気をもらいました。

 

あなたはどう感じますか?

 

 

 

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お金を追い求めるのをやめた

こんばんは。本日もお立ち寄りいただきありがとうございます。

 

綾小路きみまろさんの『しょせん人生なんて自己申告』の「成功について」の章から心に響く文章をお伝えしています。

 

今日お伝えするのは次の文章です。

・芸人として表舞台で勝負しようと腹をくくったときに決めたことが一つ。お金を追い求めるのをやめた。お金のために、全国のキャバレーに出張して司会をしたり、日に何本も歌謡ショーの予定を入れた。目的が「芸人として売れること」ではなく「お金を稼ぐこと」にすり替わってしまう。

 

「覚悟」という言葉がふさわしいと感じます。

私たちの生活には「お金」が欠かせません。「お金のために働く」「飯を食うために働く」という表現はあまり使いたくはありませんが、現実世界ではこの言葉に囚われて生きている人が多い。

 

日々の生活に支障をきたすほどお金に困っている。

毎日の生活はなんとかやりくりしているが、急な出費への備えはまったくない。

毎日の生活に困ってはいないが、将来に向けた貯金をしないといけない。

それなりにゆとりがあるが、もっとお金がないと不安。

 

「お金」をどれほど、どのように必要と感じているかは人それぞれでしょう。

でも「お金」に囚われてしまっているという意味では共通している。

 

「お金」のために、自分の本意に反したことをしてしまう。仕方がないと受け入れてしまう。

「お金」を第一に考える人生を送り続けてきたので、自分の本意や生きる意味などを考えたことがない、考えなくなってしまう。

 

「お金」を第一に考えてしまう。これは致し方ないのかもしれない。そう感じてしまいますか?

私もそうですが、そういう環境で生き続けていると、いつしかこの考えに疑問も感じなくなってしまう。そういう人が多いと思います。

 

でも、きみまろさんは違いました。腹をくくったんです。

もう一度文章を見てみましょう。

・芸人として表舞台で勝負しようと腹をくくったときに決めたことが一つ。お金を追い求めるのをやめた。お金のために、全国のキャバレーに出張して司会をしたり、日に何本も歌謡ショーの予定を入れた。目的が「芸人として売れること」ではなく「お金を稼ぐこと」にすり替わってしまう。

 

司会者としてのキャリアを重ね、それなりの収入も得られていたのでしょう。とはいえ、「お金への不安」からは逃れられず、お金を得るために何本も仕事を入れた。きみまろさんも、世の多くの人と同じようなマインドセットだったのですね。

でも、ある時に「覚悟」を決められたのですね。「芸人として表舞台で勝負しようと腹をくくった」時に、「覚悟」をされたんです。

 

このまま司会業を続けていけば、お金に困ることはない。もし、あなたがこういう状況に置かれたとしたら、自分の目的を貫くことができますか?

簡単ではありませんよね。

お金の魔力は強力。その力に抗うのは波タイのことではありません。

 

この「決断」と「覚悟」が、芸人 綾小路きみまろさんのメジャーデビューの端緒だったのではないでしょうか。

 

あなたはどう感じますか?

 

 

 

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1%の意地 そして まだ置かれていない場所に椅子を置きにいく

 

こんばんは。

綾小路きみまろさんの『しょせん人生なんて自己申告』の「成功について」の章から心に響く文章をお伝えしています。

 

昨日二つ目にお伝えしたのは次の文章でした。

・下積み時代何をしてうまくいかない時期が何度も。テレビ番組のオーディションを受けてもことごとく受からない。一緒にキャバレーのステージに出ていた芸人はテレビに出てすっかり人気者。

 

この状況は本当につらかったと思います。そういう時期が一度ではなく何度もあった。歳を重ねるたびに、どうしても他人と比較するようになってしまう。妬みや僻みといった感情も体験されたのではないか、と思います。少なくとも私のような一般人には耐えがたい環境ですね…。

 

でも、きみまろさんは、そこでくじけなかった。

・それでも芸人の道をあきらめなかったのは意地。というか意地しか残されていません。

 

この章の冒頭の言葉として「1%の意地」について触れました。

たとえ1%だとしても意地は捨てなかった。これが後の、芸人綾小路きみまろのメジャーデビューにつながった。

 

夢を追う過程では、いくつもの障害、壁が現れる。それを乗り越えるのは容易ではない。くじけそうになる。負けそうになる。諦めそうになる。

そんな時に、最終的に必要となるのが「意地」。

自信も失い、希望も失ったとしたら、残っているものは意地しかない。

でも、この「意地を持ち続ける」というのは簡単ではないと思うのです。「意地」を「執念」と置き換えてもいいかもしれません。執念を持つのには、相当のパワーが必要となる。エネルギーが必要となる。そのエネルギーを長きに渡るつらい状況の中でも持ち続ける。これは容易ではありません。すごいと思います。

 

きみまろさんが、何度も自分に言い聞かせた、というのが次の文章です。

・「大丈夫。今は駄目でも、自分の漫談をわかってくれる人がいつか必ず現れる。人と椅子を奪い合うんじゃない。おれは、まだ置かれていない場所に椅子を置きにいくんだ」 そう、何度も、何度も、何度も、自分に言い聞かせてきました。

 

今日お伝えした文章の中に「一緒にキャバレーのステージに出ていた芸人はテレビに出てすっかり人気者」という件がありましたね。これは「他者との比較」を表しています。

そう感じてしまうのは仕方がない。感情は押さえられませんから。でも、その感情に流されるだけではなかった。自分で自分に何度も何度も「自分は自分」と言い聞かせた、「まだ置かれていない場所に椅子を置きにいくんだ」と前を向いた。

「いつか分かってくれる人が必ず現れる」とは、希望の言葉。希望があると人は前を向いて進むことができる。自分に何度も何度も言い聞かせる。そして、行動を続ける。行動を重ねていく。

 

「自分もこうありたい」と強く感じました。

 

勇気をいただく文章をありがたく感じました。

 

 

 

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