「行動と見識」KOUSHIのブログ

行動と見識で人生を豊かにする

意地を手放すのか、意地をはるのか

 

こんばんは。

『しょせん人生なんて自己申告』の「成功について」の章からの心に響く文章。

 

今日はこの章からお伝えする最後の文章になります。

 

・夢を叶えるためには、底なし沼に小石を放り込むような努力を続ける。何があっても1%の意地だけは手放さない。先の見えない暗闇でも、小石を投げ続ければ、やがて立ち上がるための「土台」ができる。

 

これは昨日お伝えした下記の文章の続きです。

・作ったネタ帳は段ボール10箱分。誰かがほめてくれるわけではない。手ごたえだってない。こんなことをして意味があるのだろうかと不安にもなる。

この文章を「底なし沼に小石を放り込むような努力を続ける」という文章に置き換えていらっしゃるのですが、この比喩が努力の重みをより読者に思い知らせていると感じます。本当の努力とはこういうものなんだ、と。

 

出口があると分かっていると、希望を感じることができる。そうすれば、小石を投げ続けることはできるかもしれません。

でも、先の見えない暗闇で努力を続けることができるか。ここが成功できるかどうかの分岐点。

底なし沼に小石を投げ続けても意味がない。ふつうはそう考えてしまいますよね。だって、底なし沼なんですから。石を投げ続けたところで、いつまで経っても何も変わらない。何の意味もない。やめたくなってしまって当然。

 

こういう時には、得てして「諦めが肝心」という言葉が自分の心に忍び込んでくる。その言葉に従ったほうが賢明だと思ってしまう。出口の見えない暗闇を歩き続けてきた年月はもったいないけれど、これ以上歩いて、これ以上の時間を無くすことはできない。確かに賢明かもしれない。

 

きみまろさんが、ここで諦めなかったのは「1%の意地」を手放さなかったから。

「意地」にはネガティブなトーンも含まれます。「意地をはる」というのは処世においては得策ではないという意味合いを持っている。

でも、こと「自分の夢を追う」という大目標においては、「意地」は必要不可欠なものであると感じます。逆にいうと、意地がなければ続けられない、ということです。

 

諦めるのか、続けるのか。

意地を手放すのか、意地をはるのか。

 

これは難しい判断です。どちらが正解とは言い切れない。その人、その時によってとるべき方向は異なる。

でも「諦めない」という選択をしたほうが、悔いはないと思いませんか? 諦めてしまうと、どうしても「もし続けていたら」と何度も思い返すことになると思うんです。後悔の念を持ち続けると思うんです。

それであれば、「諦めない」ほうがいい。うまくいくかどうかは分かりません。

でも、諦めないことで成功した人がいる。きみまろさんのこの言葉を胸に抱きながら、前に進んでいくことはできると思います。

・先の見えない暗闇でも、小石を投げ続ければ、やがて立ち上がるための「土台」ができる。

 

あなたはどう感じますか。

 

 

 

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