尊敬する人との共通点 喜びと発展
こんばんは。
本日もこのブログにお越しいただきありがとうございます。
今朝は早起きされましたか?
週末は時間を気にせずゆっくりと寝ていたい、という気持ちは分かります。私もそう思うときが(しばしば、特にここ最近は多く…)あります。
ですが、これがきたる翌週のリズムを崩すことになるのです。
今週末に朝から惰眠をむさぼってしまった方には、ぜひとも来週末は早起きを目指ていただきたいと思います。
今日も「複写ハガキ」の話を続けます。
「いただいたご縁にひたすら感謝の念を込めてペンをしたためた」という鍵山さん。
複写ハガキと人との縁については、このようにもおっしゃっています。
「複写ハガキが人とよい縁をつないでいくための強力な接着剤になり、一回の出会いを確かな縁にする効果があった」
「とくに、立場の違う人との出会いには計り知れない威力を発揮した」
「メールと違い、手書きのハガキには、人間のぬくもりや個性が感じられる。その分だけ、印象深く相手の脳裏に刻まれる」
そして、
「いまさらながなことの小さな紙一枚の力に驚いています」
とも。
手書きのハガキが人との出会い・結び付きを強固なものにしたと確信されています。
感謝を込めたハガキだからこそ、よい縁を紡いでいくのでしょう。
経験に裏打ちされた言葉ゆえに重みを感じます。
さらには、
「ハガキを書くのに使用したボールペンの芯も片手でつかみきれないほどの数になった」
「人から見たら、何の価値もない使用済みの芯だが、私にとっては何ものにも代えがたい宝物になっています」
というお言葉も。
この気持ちはわかるような気がしませんか?
自分の信念として長い間続けてきた対象にかかわるものには愛着が湧きますよね。
私の例でいえば、長年続けてきた筋トレに使用していたバスタオル。
腕立て伏せと足上げ腹筋をする時にいつも使用していました。ボロボロなタオルで、まさに他人からみればただの汚れた布に過ぎません。ですが、私にとっては宝物のようなものです。(卑近な例ですみません。しかも少し意味合いが違いますかね…。)
さらには、複写ハガキの良い面として
「このハガキのいいところは、書いた内容の控えが手元に残ること」
とおっしゃっています。
日記を書いていない鍵山さんにとって「複写ハガキ」の控えが日記帳代わりになっている、とおっしゃっています。
「やはり偉人は日記を書いているんだ!」と私は嬉しくなりました。自分の習慣と尊敬する人のそれとが一致しているのは嬉しいですよね。
鍵山さんは、「複写ハガキ」を日記からさらに発展させ、「自分史に代わるべき記録」になるものともおっしゃっています。
私は自分史について深く考えたことはありませんでした。この文章を読んで、「日記を自分史として捉えてみよう」との思いを抱きました。
偉人と共通する部分を喜ぶとともに、積極的に発展させていきたいと考えています。