「ゴミを拾う」と幸せになれる?
こんばんは。
本日もこのブログにお越しいただきありがとうございます。
新しい一週間が始まりましたね。
あなたは今日一日をどのように過ごし、どのような感情を抱くことが多かったでしょうか。
私は先週が非常にしぶい(不甲斐ない…)一週間となってしまったため、盛り返しに注力したいと考えていました。が…、しぶいビールを飲みながらこの記事を書いています(笑)。
失礼いたしました。気を取り直して本題に入ります。
鍵山秀三郎さんが述べていた「ゴミを拾う」ことが気になった私は、「ゴミを拾うと運が上がる」「ゴミを拾うと幸せになる」といった記事を目にしました。
こんなことは本当にあるのでしょうか?
実は、鍵山さんが答えを述べてくれています。実際には、鍵山さんがこの質問にそのまま答えているのではありません。ゴミ拾いについてのお言葉の中に、私がその答えを感じたのです。
それは、
「ゴミを目にしたら、腰をかがめてサッと拾う。この実践を続けているだけで、気づきに対する直観力が研ぎ澄まされていく。同時に突発的な問題に対する判断力が高まってくる。」
というお言葉です。
この文章の中の「気づき」というのがキーワードです。実はこの「気づき」という言葉は鍵山さんの書籍の中で繰り返し述べられている言葉です。それほどにも鍵山さんが重要視している特性です。
当然ですが、ゴミが落ちていることに気づかなければ「ゴミ拾い」はできません。
何も考えずにただ歩いていたらゴミは目に入りません。また、心に余裕がない時には落ちているゴミに気づかなかったりします。
「ゴミ拾い」を心がけると、ゴミが落ちていることに気づくことができる。
さらに言うと、「ゴミを拾おう」と思っていないと、ゴミに「気づいて」も「拾おう」という気持ちが起きないし、身体も動かない。
「ゴミを目にしたら、腰をかがめてサッと拾う」ことを心がけそして実践し続けると、自然にゴミに気づくようになり、体も動くようになる。
心がけて実践することで、自然に体が動くようになる。この域までいくことが必要なのです。
そして、これは「ゴミへの気づき」にとどまらないのです。「ゴミ拾い」は他のことにも「気づく」ことの訓練になるのです。ここがポイントです。
「気づく」ことが習慣となり身体に染み込まれると、ゴミ以外のことにも「気づく」人になっていく。
そして、「気づく人になる」ことが幸運に結びついていく。
このように私は理解しました。
この「気づき」についての鍵山さんのお言葉を紹介していきたいと思います。
なぜ「気づく人になると幸せになれるのか」がより理解できると思います。
ご期待ください。