掃除を表層的に捉えることの愚 それは人生の軸となるもの
こんばんは。
本日もこのブログにお越しいただきありがとうございます。
さて、今日からは鍵山秀三郎さんの掃除語録に戻りたいと思います。
これまでの記事で数々のお言葉をお伝えしてきましたが、どれも心に響くものばかりですね。
まだまだありますよ。
「世の中に雑用はない 掃除を雑用と片付けてしまわないこと。もともと、世の中に雑用というものはない。雑な心でするから雑用になるだけのこと。」
「もし掃除を雑用というのであれば、毎日の仕事の九割以上が雑用で占められる。雑用処理能力こそ仕事に必要な能力である。」
鍵山さんの「掃除」のとらえ方があらわれているお言葉ですね。掃除は仕事にも通じるのです。
「スポーツ選手への戒めの言葉に『走姿顕信』というものがある。走っている姿にそのまま選手の心が顕れるという意味。経営者が掃除をするときの姿にも同じようなことがいえる。」
「『掃除をすると儲かる』というような気持ちで取り組むと、掃除をしている姿に、そのまま打算が顕れる。結果においてマイナスの効果となる。」
私はこの言葉を聞いた時に「掃除を表層的に考えていはいけない」とお叱りをいただいたような感を覚えました。
なにせ、私が掃除に興味をもったきっかけが、「掃除をするとお金持ちになれるらしい」という情報に流されたからです(笑)。浅はかでした…。
さらには、
「掃除が挨拶を呼ぶ。掃除には、かたくなになった人の心を、どんどんほぐしていく効用がある。」
この言葉に限らず、鍵山さんは挨拶の重要性についても何度も口にされています。挨拶にも掃除が関係しているのです。
そして、
「『簡単なこと』『単純なこと』を疎かにせず、人が見捨てたものや見過ごしてたことをできるだげ拾い上げて価値を見出す。掃除を通して見につけた生活感覚がすべての土台になっている。」
鍵山さんが「掃除」で人生を形作ってきたことを表すお言葉ですね。
最後に、もう一つ響く言葉をお伝えします。
「人に無視されたり、屈辱的な目に遭わされるほど辛いことはない。いまとなっては、そういう辛い思いをしたからこそ掃除を続けることができた。あの辛い思いをするくらいなら、掃除をつづけることなんか何でもなかった。」
これらの言葉を目にされて、鍵山さんの信念・行動のすべてが「掃除」を軸にしていることに気づかれたと思います。
掃除なくして『鍵山秀三郎』さんという人間は存在しない。そう思わされました。
「究める」ということを今一度考えてみたいと思います。