吉田茂から「気概」を学ぶ
こんばんは。本日もお立ち寄りいただきありがとうございます。
戦後の日本の基礎を作り上げた吉田茂。
昨日お話ししたように、吉田茂が内閣総理大臣に就任したのは68歳。それまで政界の表舞台には登場していませんでした。
まさに「遅咲きの政治家」です。
その後の吉田茂の活躍は皆が知るところ。
日本国憲法公布、サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約の調印は吉田茂内閣の時代になされています。
その間には、内閣総辞職等で総理の座を離れた期間もありますが、合計5回にわたり内閣を組閣し、合計2616日という長期政権を担いました。第5次吉田内閣が総辞職したのが1954年、吉田茂77歳の時です。
ここで隠居生活に入らないのが吉田茂のすごいところ。その後も選挙に出馬し当選。政治家としての人生を続けるのです。政界引退を決意したのが85歳の時。
政界引退後も大磯の自宅には多くの政治家が出入りします。政界の実力者として大きな影響力を持ち続けていたのです。
「吉田学校」とも言われる議員集団からは、佐藤栄作、池田勇人、田中角栄がといったの後の総理が輩出されています。
神奈川県の大磯で永眠したのが1967年。吉田茂90歳の時でした。
駆け足で吉田茂の人生を見てきましたがいかがでしょうか。
政界入りし総理の座を始めて務めたのが68歳。一般的に60代後半といえばもう引退して余生を過ごしている年齢ですよね。この歳で一国のトップを担う気概とバイタリティ。特に精神面のタフさに驚かされます。
そして、2616日にもわたる長きにおいて、総理として日本をけん引していく強さ。戦後日本はまさに混乱の時期。この難局のなか、77歳まで内閣を、日本という国を率いていった力にしびれます。
自分と、もしくは自分の周囲の人と重ね合わせてみるとどうでしょうか。
私はとうていこれほど力強く生きていけるとは思えません…。
でも、元気を、そして勇気をもらえることは間違いありません。吉田茂という大人物にはとうていなることはできないけれど、気概を持って前に進みたい。そう思わせてくれます。
吉田茂にまつわる逸話は数え切れないほどあり、それを知るともっとこの人物を深く知り、彼のことが好きになると思います。
ぜひとも彼についての書籍を読んで見ていただきたいと思います。
吉田茂は、その性格から「ワンマン宰相」・「和製チャーチル」とも言われました。
魅力的でありながら独占的。
ここで、ふと感じました。
和製ではない本家の「チャーチル」とはどんな人物であったのか、と。