「行動と見識」KOUSHIのブログ

行動と見識で人生を豊かにする

彼の英語運用能力とは雲泥の差、対極にあったといってもいい

 

こんばんは。

昨日は田坂広志さんの『人生で起こること すべて良きこと』での「言葉」についての学びから、少し脱線して私の個人的な体験について話をしました。今日も続けます。

 

ドイツでの経験。私は見込顧客である会社のドイツ人マネージャーの英語運用能力の素晴らしさに感心していました。

「私もこんな風に英語を操れるようになりたい」 

彼に自分の理想を感じた私は、何か幸せな感情に包まれていました。自分もこんな風に英語を操ることができるのではないか。そんな根拠のない希望を感じていたのかもしれません。

 

でも、彼が話しているのは、私たちにとってはネガティブな内容。私たちの製品が彼らにとっては物足りない、ということが暗に示されていたのです。

 

この状況をどう脱するのか。

売り込む立場にいるのですから、彼の言うがままを受けいれるわけにはいきません。彼の言っていることは理にかなっていて反論は難しい。でも、こちらから何かを発しないと、何かを示さないと、彼のペースのまま終わりを迎えてしまう。

 

そんな時、スピーカーから、日本人上司の声が聞こえてきました。正確に言うと私の上司ではなく、同席していた日本人の上司ですが。

その方の英語力は私と同じレベル。日本人っぽい英語といいますか、いかにも日本人が話しそうな英語の発音です。日本人には分かりやすいのですが、海外の人にはどうか。決して分かりにくくはないのでは、と感じました。というのも、声は大きく、物怖じした感じがしない。むしろ、堂々としているといったほうが適していました。

 

でも、肝心の内容はどうかと言えば…

これが薄っぺらいw というよりも内容がない、というべきでしょうか。まったく論理性を見い出せない。

「I understand what you said.」という言葉を繰り返しながらも、そのドイツ人が話したことについて具体的に意見することはありません。反論以前に彼のコメントに触れることもしないのです。その上司が話したのは「こちら側の都合とお願い」のみでした。

「あなたの言うことは分かっている。そして、私たちの商品にはこういう優れた面がある。これはあなたの会社にもメリットがあるはず。ぜひとも前向きに検討してほしい。」

こんな発言が繰り返されただけだったのです。

 

ドイツ人の英語運用能力とは雲泥の差。対極にあったといってもいいと思います。

 

最初、私は思わず吹き出しそうになってしまいました。

でも、その後は彼の話がなぜか微笑ましく感じたのです。そこに論理は全くありません。ドイツ人があんなに論理的に話を繋いだのに対して、彼はまったく論理を用いない。でも、感情が伝わってくるのです。感情が強く伝わってくる。

「どうしてもあなたにこのサービスを使ってほしい」という思いが伝わってくる。そこに論理や戦術もありません。ただ、真摯な正直な気持ちを強く感じる。それを何か愛おしく感じた。惹きつけられてしまったのです。

 

これは私が感じた印象です。この打合せの当事者でない私がどう感じようが、商談の成否には何の関係もない。

肝心なのは、見込顧客の彼がどう感じていたのか? です。

 

明日に続けます。

 

 

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