チェンバレンに限ったことではない
こんばんは。
チャーチルの話から脱線してチェンバレンという人物についての話を始めました。今日も続けます。
そして、チャーチルに話をすぐに戻しますのでご心配なくw
ドイツの外相から「チェンバレンとヒトラーが会う」ことに「Yes」の回答を得たのが1938年9月14日。
「チェンバレンがドイツを訪れる」というニュースに英国民は湧きたちます。新聞社も彼を称賛します。国民の70%が彼の訪独を「good thing for peace」と考えたと言われています。
9月29日のミュンヘン会談。
チェンバレンが知りたかったのは「ヒトラーが望むのはチェコ北部のズデーテン地方だけかどうか」ということ。ヒトラーから「その通り」との回答を得たチェンバレンは彼の目を見つめます。そして「彼は信頼に値する人物だ」と判断するのです。
翌朝ヒースロー空港に戻ったチェンバレンのスピーチは聴衆の喝さいを受けました。
それだけでなく、当時の英国王ジョージ6世に迎えられ、バッキンガム宮殿のバルコニーで国王夫妻とともに国民からの歓迎を受ける特権を与えられます。応急のバルコニーからの謁見は伝統的に王族のみに許される行為。
チェンバレンは英国全体から、平和を導く指導者として評価されたのです。
そんなチェンバレンを批判し、怒り、そして絶望していたのがチャーチルでした。
チェンバレンの訪独を「the stupidest thing that has ever been done」とチャーチルは語っています。
チャーチルの不吉な予感は的中。
ミュンヘン協定を一方的に破棄したヒトラーはチェコ全土に侵攻を開始します。それでも平和的な解決を模索するチェンバレン。1939年にドイツがポーランドに侵攻をするとようやく英国はドイツに宣戦を布告。チェンバレンが「私の政治生活を通じて求めてきたもの、信じていたもの、すべてが破滅してしまった」と演説するに至ったのです。
チェンバレンのヒトラーとの交渉は第二次世界大戦の中で最も愚かなことの一つ、とみなされることが多い。
チェンバレンはナイーブだっかかもしれない。確かに、実業家として成功を収めて政界に転身した彼には外交経験はほとんどなかった。でも、ヒトラーの真意を見破れなかったのはチェンバレンに限ったことではない、とマルコム・グラッドウェルは主張します。
チェンバレン以外にもヒトラーに直接会った政治家はいた。そして彼らの多くもヒトラーに騙されていたのです。ヒトラーに騙された人たちははたから見ると騙されそうにない人、逆に、真実を知っていたのは一見騙されそうな人、というパズル。恐らく、チェンバレンとその同類の人たちは、彼らが実際に何を見たとしても聞いたとしても、彼らが見たいと思うヒトラーを見ると決めていたのではないか。
マルコム・グラッドウェルの著書
『Talking to Strangers: What We Should Know about the People We Don’t Know』(Penguin 2019/9/10)
から、チェンバレンに関するエピソードをお伝えしました。
この本は400ページ近くありながらも、面白く興味深く、どんどん読み進められます。英語もそれほど難しくない。お勧めですよ。
明日はようやくチャーチルに話を戻します!