チャーチルが歴史に刻まれる 65歳までの生涯はすべて準備に他ならなかった
こんばんは。
1939年のドイツによるポーランド侵攻。ようやく英国が宣戦布告をし第二次世界大戦がはじまります。
ミュンヘン協定の以前からチャーチルを求める声は高まっていましたが、この頃には全国紙がこぞってチャーチルを指示する記事を掲載するなど、英国民からの支持は揺るぎないものになっていました。55歳で要職を外されてからくすぶっていたチャーチル。「時代遅れの帝国主義者」と揶揄されていた彼は、一転して「英国で最も信用されている政治家、安全の番犬」と呼ばれるまでになっていたのです。
そして65歳となる1940年にチャーチルは英国首相に就任。
この難局を切り抜けることができる人物、ドイツを、ヒトラーを倒せる男はチャーチルの他にいない。不屈の男に英国の、世界の命運が託された瞬間でした。
この時を振り返ったチャーチルの言葉は有名ですね。
“I felt as if I were walking with destiny, and that all my past life had been but a preparation for this hour and for this trial... I thought I knew a good deal about it all, I was sure I should not fail.”
私は運命とともに歩んでいるかのように感じた。私のこれまでの生涯がすべて、この時、この試練のための準備に他ならなかったと感じた。
チャンスは準備をしている人だけに訪れる。これを地でいく人物がいる。生きる希望を与えてくれます。
首相に就任して初めての演説では「あらゆる犠牲を払って」ヒトラー打倒のために戦い抜くことを宣言したチャーチル。
その後ますます劣勢に陥りながらも、チャーチルは国民を繰り返し鼓舞します。たじろがない堂々とした語り口、どんな難局においても余裕を感じらせる雰囲気。チャーチルは英国民の気持ちを前へと向かわせ続けます。
対戦を通して世界各地を飛び回り英国の処理のために激務を続けたチャーチル。独裁的な振る舞いもあったとはいえ、彼でなければこの難局は乗り越えることができなかった。これは歴史が証明していますね。
1945年に入ると4月にヒトラーが自殺、5月にはドイツが降伏し。イギリスを勝利に導くことに成功します。このときチャーチル70歳。畏るべしパワーです。
70歳でこんなことはできるでしょうか!
その後も政治の世界にとどまり76歳での第二次内閣を形成しますが、彼の政治人生はここに頂点を極めました。
その後78歳でノーベル文学賞を受賞したことも忘れてはいけませんね。
1965年、チャーチル90歳の時に息を引き取ります。病床ではウィスキーグラスを手元に葉巻を加えていたというチャーチル。最後まで余裕を見せる。カッコいいですね。憧れます。
まさに「遅咲きの政治家」チャーチル。
和製だけでなく本家のほうも魅力的。しびれます。憧れますね。
吉田茂とチャーチルの人生を振り返ると、自分の日々の悩みなんか吹き飛びます。「何でこんな小さなことに悩んでいるのかと」
チャーチルについてもっと知りたくなられたのであれば、彼の自伝を読むことをお勧めします。数多ある自伝の中でも、ボリス・ジョンソンの著書は読んでおきたい。
ボリス・ジョンソンとは? そう現在の英国首相ですね。