幸せとは何か?
こんばんは。
オリンピックそしてパラリンピックが終了してもう1カ月近くが経過しました。時間が経つのは本当に速いものですね。
いつの間にか夏はとっくに終わり秋を感じる。うだるような暑さは好きではありませんでしたが、今となってはそれが懐かしい。私にとって大好きな夏が終わりを迎えた今の季節は一番寂しさを感じる時期でもあります。
突然ですが、質問です。
今あなたは幸せですか?
なぜ、こんなことを言いだすのだ、と思われたかもしれません。
ここ最近「幸せとは何か?」ということを考えることが増えてきたような気がするのです。あくまで個人的な話で恐縮ですが。
若いころは、こんな質問を自身に投げかけることはなかった。
「幸せになりたい」という気持ちは持っていたはず。でも「幸せとは〇〇ということ」という定義を持っていたわけではない。
そもそもその定義も一律なものではなく、まさしく人それぞれ。同じ1人の中でも時期によってその捉え方も変わってくるでしょう。
競争社会を生きてきた私たちの世代においては、学生生活を終えた後にビジネスの世界に入ってからの「幸せ」を、「成功」と同義に捉えること一般的だったように思います。それを意識しているかどうかにかかわらず。
仕事で大きな成果を上げる、周囲の同年代より一歩先んじる、出世する。それが成功であり、成功すれば幸せになれる。
成功を目指すことは悪いことではありません。成功を目指す過程で成長する、幸福を感じる。これは紛れもない事実でしょう。でも成功という結果=幸せと考えてしまうと、必ずしも幸せになれなくなってしまう可能性が高い。
例えば、出世することが幸せと捉えてしまうと苦しくなる。上に行くほどポストは限られてきます。さらに冷厳な事実として、出世は必ずしも仕事の成果と直結するとは限らない。むしろ、人間関係によって決まってくる側面が強いのが実際のところ。そうなると出世ができない。これだけ努力を重ねてきたにも関わらず、不幸になる。そう感じてしまうことが起こり得るのです。
このことは年を重ねて組織における自身の限界を認識せざるを無い状況になると分かると言われますが、まだ若いうちは可能性に満ち溢れていますから認識できないのですよね。
若い人が精いっぱい仕事に取り組むこと、自分を高めるために努力を継続すること。このこと自体は素晴らしいことで、奨励されるべき。少なくとも、そういう姿勢を挫いてはいけないと思います。
でも、成功することが幸せではない、出世することが幸福をもたらすのではない。このことを知らせてあげるのは必要ではないか? それが、若者よりも先に社会を生きてきた世代が、人生の先輩として後輩に施すことができる優しさなのではないか? そう感じます。
とりとめもない話になってしまいました。