「えらい」人は「優れた」人?
こんばんは。本日もお立ち寄りいただきありがとうございます。
・世の中の優れた大人は決まって謙虚。「人は人、自分は自分」という感覚をもっている。
楠木建さんはこう仰るものの、実際のビジネスシーンではそんなことはないのではないか?
決して謙虚とは思えない人が高いポジションにいたりする。
自分勝手で、押しの強い人が偉くなっていたりする。中には、自分が偉くなるために、他人を蹴落としたり、陥れたりすることを何とも思わない人もいる。
この意味では、必ずしもすべての「優れた人」が謙虚とはいえないのではないか?
という疑問が生じたのが正直なところです。
でも、この考え方には誤りがありますよね。
そもそも
「優れた人」=「高いポジションにいる人」=「偉い人」
と考えるのが間違っている、おかしい。
会社で高いポジションにいる人が「優れた人」とは限りません。
仕事ができるという意味では優れているかもしれません。また、出世という競争を勝ち抜いていくという意味で優れているかもしれません。でも、これだと視野が狭すぎるんです。もっと広く「人生」という観点で見てみるとわかりやすい。「自分の人生を生きる」「楽しい人生を生きる」という視点でいかに優れているかを考えると、会社で偉い人が必ずしも「優れた人」ではないのは明白ですよね。
また、会社で高いポジションにいる人を「偉い人」というのは一般的ですが、これもおかしいですよね。これも広い視野でみれば、別に偉くないですよねw 「偉い」という言葉をやすやすと使ってはいけないな~と感じもしました。少し話がそれました…。
こう書いておきながら、たまたまそういう人を知らないだけなのかもしれない、そういう人に出会ったことがないだけなのかもしれない、とも思うのです。ここでいう「そういう人」とは「高いポジションにいながら謙虚な人」という意味で書いています。
楠木建さんはお仕事柄、多くの経営者の方と会っていると思います。経営者として名高い人の中には、謙虚な方もいるのではないか、とも思うんです。いや、謙虚であるからこそ名経営者になった、という順番の方が正しいのでしょうか。
私のような庶民(?)にはわからない、未体験の世界があるのかもしれないな~とも思います。
そういう人と巡りあえるように、自分をもっと磨いていかなくてはいけない。そう思いました。
楠木建さんのこの文章は、直接的に「もっと自分を磨け」とは言っていません。いや間接的にも言っていない。ただ私が感じただけの話ですw
でも、こうやって思いが膨らんでいく文章を読めるのは幸せだな~と思うのです。また、話がそれてしまいました。
明日に続けます。