借り物の知識に気を付けよう
こんばんは。本日もお立ち寄りいただきありがとうございます。
また遅い時間の更新になってしまいました。
「法則」や「技法」が書かれている本の教えすべてを実践するなんで、どだい無理な話。
なぜ無理なのか? についての話を始めました。
一つ目は、「方法や手法が多すぎる」という側面。そもそも多すぎて、実生活ですべてをこなすなんて無理! ということですね。
二つ目が「実践が実際的ではない、現実的ではない」という側面。私の好き嫌いの範疇になってきますが、「実践を伴わない評論家が書いた方法論」は信用できません。実践が現実的ではないし、体験から語られる言葉でないと、心も体も動かされません。
この二つ目の「実践が実際的ではない、現実的ではない」という面において、一つ厄介なことが。
それは、著者の体験や経験に基づいた実際的な手法がベースになっていても、その主張の裏付けや箔付けのために、実際的でない要素が加味されうる、ということです。適切な裏付けであればまだよいのですが、権威づけのための箔付けだとすると、その手法の有効性に疑問符がついてくる。著者の実際の経験によらずに、借り物の知識に飾られているのだとすれば、実際の場面では役に立たないことが多い。そう思うのです。
あくまで私見ですが、体系だった「法則」のような立派なものには、借り物の知識が使われやすいような気がします。「○○術」のようなものでも、それを絶対のルールのように主張し、ガチガチに固めた理論というものもそうです。
「こんなことまで言えるのか?」とか「こんなことまでやらないといけないの?」と思うような手法の数々は、著者の実際の経験に基づくものでなかったりする。仮にそうだとしても、著者が実生活で実践していないかもしれません。そういうものを崇めて、すべてに取り組もうとすると徒労に終わる可能性が高いと思いますよ。
一冊の本というのは「一つの作品」です。作品の完成度を高めるために、本来シンプルだったものに追加や装飾が施されて、複雑で難しいものにされてしまう、という点を見逃してはいけません。
私たちは、簡単でシンプルなものより、難しくて複雑なものの方を、より重要なものと考えてしまいがちです。そんな性質に訴求すべく、本来不必要であった要素が加味されて、より多くの読者やフォロワーを惹きつける。そういう商売的な側面が含まれていることは認識しておいた方が良いでしょう。
すべてを実践すべきでない理由。まだまだありますよ。
明日に続けます。