「行動と見識」KOUSHIのブログ

行動と見識で人生を豊かにする

著者自身が本当に理解しているか

 

こんばんは。

 

「法則」や「技法」が書かれている本の教えすべてを実践しようと思ってはいけない。

その理由についてお話しています。

 

今日は三つ目の理由について。

 

・概念的・抽象的で理解ができない

これは著者の問題ではなく、読者側の問題であることも多いです。

実際に、良書は抽象的な考えが示されていることが多い。そういう実感があります。それを分かりやすく書いてくれればありがたいのですが、必ずしもそうではない。多くの人が理解できるように説明を試みてくれる良著もあります。それでも理解できないのですw 

これは読者側の問題(私個人の問題?)。それを理解できる経験が伴っていなければ、その内容を「腑に落ちる」状態まで落とし込むことはできませんから。

そういう場合には、その本と一旦距離を置く。時を置いて再びその良書に取り組む機会を持った方が良いでしょう。効率の観点から考えれば、理解できないものに固執して時間を無駄にしないほうがベターな選択です。

 

避けたいのが「著者自身が本当に理解しているか?」という疑問がわいてくる教えです。「著者の実際の体験から導き出された考えなのか?」という文脈に置き換えてもいい。

抽象的・概念的な文章というのは、ある意味、書きやすいという面があります。別の本で読んだり、他人から聞いた話を流用できたり、という点で。ソースが別であることが問題ではありません。その著者が、その内容を咀嚼し、自分の体験と重ね合わせたうえで、自分の言葉として語る。それであれば全く問題ありません。でも薄っぺらい理解で、もっと悪いと何の理解も試みないまま、さも自分の考えのように書き表す。これが問題なのです。

 

そんな本はそもそも読まなければいいのですよね。最初から最後まで、そんな調子で書かれていれば、「この本は薄っぺらいな」というのは分かる。そんな本は捨ててしまえばいい。(言い過ぎですね…)

でも実際には、そんな分かりやすい「浅い本」ばかりではないのですよね。著者の体験をベースにした信頼性のある手法や方法が数多く書かれていながら、その中に「薄ぺっらい概念」が組み込まれていたりするのです。

 

二つ目の理由「実践が実際的ではない、現実的ではない」の部分でも書きましたが、その作品や法則の完成度を上げるために、見栄えをよくするために、本来不要だったものが付け加えられることがあります。ここでも同じこと。まさに蛇足です。

 

「教えをすべて実践しようとしてはいけない」

その理由をお伝えしてきましたがいかがでしょうか? 共感いただけますかね~。

 

あともう一点お伝えしたおきたいことがあります。

 

明日に続けます。

 

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