その状況でできることをやる、その時間を楽しむ
こんばんは。
綾小路きみまろさんの『しょせん幸せなんて、自己申告』から、心に響く言葉をお伝えしています。
「健康と老い」の章の話を続けます。
一般的に、私たちは中年に差し掛かると、自らの衰えを感じるようになります。高齢に差し掛かっていくと、明らかに不自由を感じるようになっていく。
若いときには簡単にできたことが、今となっては一苦労。できないこともどんどん増えていきます。その状況に不満を覚える。そんな私たちに、きみまろさんは言います。
・いろいろ不満は尽きませんが、しょせん幸せなんて自己申告。
そして、これらの文章が続きます。
・健康で、自分のやりたいことをやれている人が、いちばん幸せ。
・今日できることを、一日一日と楽しんでいきたいものです。
今できることを楽しむ。つまり、今を生きる。
この言葉は使い古された感があるほど、多くの人が知っているでしょう。そして、その通りだと思っているでしょう。でも、そう思って入っても、身にしみて感じているかというと別の話。
何か制約を受けて初めて「今を生きる」ことのありがたみを知ったりするものです。
例えば、風邪で体調を崩して、初めて健康のありがたみを認識する。ふだんであったら何の苦労もなくできたことが、体調の不良によりうまくできない。「あ~、やはり健康って大切なんだな~」と実感する。でも、体調が戻ってしばらくすると、そのありがたみをすっかり忘れてしまう。自分の体を労わることを蔑ろにして、また無理をしてしまう。若いときには、この過ちを繰り返してしまうことが多い。
一方で、加齢による衰えにおいては、若いときの健康状態に戻るということがありません。その衰えを受け入れて生きていくしかない。その状況で「この状態でできることを、できる限りやろう」と考えることができるか。もっと簡単にいえば、「生きる気力」「人生楽しもうという心持ち」。特に老齢の段階においては、この考え方が大切になってくると思います。
体力的な衰えは仕方がありません。受け入れざるを得ない。でも、ここで気力も衰えさせてはいけないんです。一気に老け込んでしまう原因ともなります。
日々生きることは、日々死へ近づいていること。老齢になると、残された日々は本当に少なくなっている。その貴重な一日を楽しむ。自分のやりたいことを毎日楽しむ。これが人生終盤に老いて幸福感を持って生きられるかどうかに影響を与えるように感じます。
不自由な体に文句を言っていても仕方がありません。
その状況でできることをやる、その時間を楽しむ。これは老齢の方だけではなく、あらゆる年代の人に必要な心持ちですね。