「行動と見識」KOUSHIのブログ

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世界のビールを楽しむ キリンビール ③

昨日の記事では、キリンビールの黄金時代に関しお伝えしました。

 

日本のビールの流れを変えた、あの大ヒット商品が出るまで、キリンは日本ビール業界の雄として君臨していました。

 

その大ヒット商品とは、もちろん「アサヒスーパードライ」のことです。

 

以前お伝えした通り、「アサヒスーパードライ」が発売されたのは1987年の3月です

この大ヒット商品の影響で、同年のキリンの市場シェアは60%を割り込みました。常に60%以上のシェアを有してきた、「黄金時代の終わりの始まり」の年でした。

 

「終わりの始まり」という表現をしたのは、キリンが「スーパードライ」の勢いを止めることができず、瞬く間にシェアを落としていったからです。2年後の1989年には、同社のシェアは50%を割ってしまいます。

 

ドライ戦争において、同社も「キリンドライ」、「キリンモルトドライ」という製品を販売して、「アサヒスーパードライ」に対抗しようとしたことはお伝えしました。これらの新製品は健闘したものの、「アサヒスーパードライ」の独走を止めることはできませんでした。

うがった見方をすれば、キリンブランドのドライビールでアサヒに追随しようとする姿勢が、かえってドライの本家ともいえる「アサヒスーパードライ」の伸張を許してしまったといえます。

 

とはいえ、これはキリンの落ち度とはいえないでしょう。他社のヒット商品に倣い、そのカテゴリーの需要を奪うというのは、同じ業界の会社であれば、とるべき選択の一つでしょう。
ただ、これだけドライビールがもてはやされ、どのビール会社もドライビールを販売している状況では、ドライビールの本元といえる「アサヒスーパードライ」に消費者の注目がより集まってしまうという状況をもたらしてしまったのだと思います。

 

もはや「ドライビール」が、一時期の流行りのカテゴリーではなく、ビール市場の本流となることが自明となってきます。

ドライ戦争の勝者となったアサヒに対して、キリンは、ドライではない、独自の戦略をとっていくことが急務となっていきました。

 

この状況において、キリンは、旗艦ビールである「キリンビール」と「アサヒスーパードライ」との違いを際立たせるために、その名称を「キリンラガービール」に変更するとともに、「キリンビール」だけに頼らない商品戦略を進めていきます。

 

明日に続けます。