世界のビールを楽しむ キリンビール ⑥
おはようございます。
今日も朝からビールのお話を始めます!
それにしても、今年は雨が多く梅雨らしい天気が多いですね。私は関東地方に住んでいますが、昨年の今頃は、すでに梅雨が明けていて真夏のような天気が続いていました。夏本番が待ち遠しいですね。
今日も、「キリン一番搾り」の話を続けます。1990年に発売された「一番搾り」が記録的なヒットを飛ばしたところまでお伝えしましたね。
キリンは、この「キリン一番搾り」の大ヒットにより、1990年にシェアを奪回することに成功しました。キリン党の方にとっては、「めでたしめでたし」ということになります。
ですが、キリンとアサヒの戦いは終わったわけではなく、むしろ、より熱を帯びていくのです。
キリンは「キリン一番搾り」で、短期的にはアサヒに一矢を報いました。しかし、長期的な視点で見ると、この後に続くキリンの判断が、自ら日本ビール界の雄という立場を手放してしまったといえるかもしれないのです。
アサヒの「アサヒスーパードライ」という絶対的なブランドに対して、キリンは「キリンラガー」、「キリン一番搾り」という二大ブランドで対抗し、両者の間で熾烈なシェア争いが続きます。
1995年に、アサヒが大プロモーションを展開します。「スーパードライ」が生ビールセグメントのNo.1ビールであることを大々的に謳い、シェア獲得の大攻勢をかけたのです。
ここで一つ言い忘れていたことに気づきました。
当時、「スーパードライ」と「一番搾り」は生ビールでしたが、「ラガービール」は生ビールではありませんでした。
アサヒの大攻勢に対して、キリンは「ラガービール」を生ビール化することを決定します。今となっては、この判断が大きな誤りであったといえるのですが、当時の「ビールと言えば生ビール」という風潮と、消費者嗜好が変わっていた環境においては、この判断は致し方なかったといえるかもしれません。
この「ラガービールの生ビール化」という決定が、大きな波紋を呼びます。従来の「キリンラガービール」こそビールの本流だ、と考えていたファンが、キリンに対して不信感をもつようになってしまったのです。味わいも風味も変わってしまい、「キリンラガー」の愛飲者が離れていくのです…。