「行動と見識」KOUSHIのブログ

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世界のビールを楽しむ キリンビール⑧

おはようございます。今日も当ブログにお越しいただきありがとうございます。

 

今日もキリンビールの歴史を振り返ります。

昨日は、キリンビールがビール市場シェア1位の座から陥落したところまでお伝えしました。

これまで、1980年代後半から1990年代にかけての、ビール業界の勢力図の変化をお伝えしてきましたが、これは私が個人的にも感じていたことです。

 

以前お話した通り、「アサヒスーパードライ」が旋風を巻き起こす前までは、我が家のビールといえば「キリンビール」でした。ビール党の父親が飲むのは「キリンビール」のみ。酒屋さんから、黄色いプラスチックの通い箱で配達されていたのは、常に「キリンビール」でした。

当時の多くのご家庭でも、「キリンビール」を通い箱で配達してもらうことは一般的だったと思います。

我が家が、ビールの購入を「酒屋さんの配達」から「ディスカウントストアでの調達」に変更したのは、ちょうど、この激変期に重なっていたと記憶しています。1980年代の後半はお酒のディスカウントストアという業態が広がり始めた時期でした。

 

父親と共にディスカウントストアに頻繁に足を運んだことが思い出されます。父親は、もはや「キリンラガー」へのこだわりを無くしていました。その時々の価格をみながら、「スーパードライ」と「キリンラガー」のいずれかを選択していましたね。そして、いつの間にか「スーパードライ」が我が家の定番になっていました。

 

キリンビールが絶対的な地位を維持できなくなった背景には、このように、販売形態の変化があったことも見逃してはいけません。

 

ちなみに、このディスカウントストアの台頭は、1989年の「酒類販売業免許等取扱要領」という長い名前の法律の改正から始まった、規制緩和の流れと関係しています。
簡単に言うと、それまで、街の酒屋さんに限られていた酒類の販売が、より大きな規模の会社にも許可されるようになった、ということです。多くの分野で規制緩和の必要性が叫ばれており、お酒もその例外ではなかったのです。

 

消費者にとっては、より手頃な価格でお酒を入手できるようになりましたが、街の酒屋さんは大打撃を受けます。今から30年以上前には、多くの小規模な酒屋さんが存在していたのを思い出します。