「声に出して、手を動かす」は「質を高める」
こんばんは。
昨日は英語学習の3大基本メソッドをまとめました。
今日は、3番目のメソッドである「声に出して、手を動かす」ことの重要性をさらに考えていきます。
何かを学ぶときに「声に出して、手を動かす」のは「ただ読む=黙読」するよりも時間がかかります。学習のスピードを考えた場合には、マイナスに捉えてしまうかもしれません。
しかし、確実に「理解」して「覚える」ことを考えた場合に、「黙読」しただけではなかなかその成果が得られない。「学んだ(と思った)」ことは川が流れるように頭の中から去っていってしまうのです。
遠回りのようで、「声に出す」と「書く」という行為は決して非効率ではない、という話をしましたね、昨日の記事では。
「時間がかかる」ことのメリットを忘れていはいけません。このメリットはスピードよりも重要です。
「声に出す」と「書く」という手間のかかる作業をすることで、黙読の時よりも、思考のスピードも遅くなります。この「思考スピードの減速」というのが、学習の質を上げてくれるのです。
思考のスピードが減速することでより深く考えるための時間が生まれます。その深く考える時間が、理解を促し、記憶に結びつけるのです。
学習においては「量」が大事なことは間違いありません。ただ、これは「質」をないがしろにして良いということではありません。
量をこなすためにスピードに過剰に重きを置くことで「質」を軽んじる。
なにかと世話しない現代を生きている私たちは、この罠に陥りやすいので注意が必要です。
「質」を高めるためには、深く考えることが大切。その行為をもたらしてくれるのが、時間のかかる「声に出す」と「書く」。
ここで注意したいポイントを一つ。
「声に出して手を動かせば学習の質が高められる」とはいえ、機械的に「音読」と「書く」をしてしまうと、その効果は期待できません。
「声を出す」と「書く」に「集中」することが必要。集中することなく、漫然と、もしくは義務的に、読み書きしているだけでは黙読とさほど変わりません。
「集中する」というと難しく感じる方もいらっしゃるかもしれません。
それなら「感情を入れる」と考えてみてください。
学んでいる対象を「本当にマスターしたい」と思いながら声に出して書く。
テキストに書かれている文章の場面に自分が存在すると思いながら声に出して書く。
私たちが言語を扱うときには、には必ず何らかの感情が絡んでいます。言語と感情は切り離せない関係にあります。感情を利用して言語を学習することの意義・効果がここにあるのです。