居酒屋さんでの「お通し」から感じたお金に対する感覚の違い 「お通し」の英語が思いつかない自分の情けなさも感じた体験
こんばんは。
本日もようこそこのブログにお越しいただきありがとうございます。
昨日の記事では、店主から「お通し必須」の命を受けた私が、お通しをどう英語で説明するか分からぬまま、その外国のお客様に注文を取りに行ったところで、話を終えました。
私は動揺を隠すべく
「お飲み物は何になさいますか?」
と笑顔で話しかけました。
「お通し」の英語を思いつくまでの時間稼ぎです(笑)。
すると、そのお客様は、「No small appetizer. OK?」と強めの口調で答えました。
「あっ、なるほど。お通しはa small appetizerと言えばいいのか!」
と私はある種の感動を覚えました(笑)。
その気づきに喜んでいる場合ではありません。「お通しあり」を伝えなければなりません。
「お通しは皆さまに提供しています。ご理解願います。」
と答えました。
すると、彼は「OK」と言って店を後にしました。
何か失敗してしまったような気がして、すごすごと戻ってきた私に、
「いいのよ。ケチな客はいらないわよ。」
と強気の店主は言いました。
ちなみにこの居酒屋さんは、小料理店と言ってもよい小規模の個人経営のお店でした。
お店にとっては、少額の支払いで何時間も長居されるのは困ります。回転率を上げたい店主の気持ちも分かります。
店主は柔軟な考え方をされる方でもあり、遅い時間帯でお店が込んでいないときには、そのような外国人のお客さんも迎え入れていましたが(笑)。
この居酒屋さんは立地が良いこともあり外国人の来店も多い。
ただ、グループで来店される外国人のお客様とはお通しで揉めたことはないようです。
トラブルになったのは、だいたい一人で訪れる外国人の方であるとのこと。しかも飲み物だけで長居する人が多いのだ、と店主はぼやいていました。
その後、何人もの外国人のお客様を接客しましたが、グループではなくお一人で来店される西洋の方がお通し代を気にされていることが多いように感じたのは確かです。
彼らは、飲み物一つだけで他に何も頼まないことが多い。
飲み物の値段を事前に確認し、その額だけ払うことを予め決めている感じでした。
食事を楽しむために訪れたのではなく、その空間を一人で楽しむため、または、思索にふけるために来ているような印象を受けました。
ちなみに、私もこのようなタイプです。一人で外飲みをするときには、ワンドリンクでなるべく長くその時間を楽しみたいです(笑)。
ここにも「(自分にとって)無駄なものへお金を払うこと」に対する感覚が、日本人と西洋人とでは違うのだな、と感じたのでした。
明日に続けます。