彼は戦略的にテレビを活用していた テレビとの付き合い方にその人の生き方があらわれる
こんばんは。
本日も当ブログにお越しいただきありがとうございます。
昨日は、私と家庭用スクリーンの出会い(?)についてのお話をしました。
今日も続けます。
外国人の友人宅に招かれた私は、そこで見たスクリーンに興味津々となっていました。
テレビを切り離した空間を作り出している理由を知りたくなった私に、彼は矢継ぎ早に自身の考えを話し続けました。(フランスの方は話好きの人がおおいかもしれません…)
「家では家族との団欒を楽しみたい。だから何も見ずに会話を楽しむんだ。テレビは家族の時間を奪ってしまうから持っていない。」
「家族みんな映画が大好きなんだ。時間を決めてスクリーンで作品を楽しむことにしている。」
「あまり高価な設備を購入してしまったら、できるかぎり使わないともったいないと思ってしまうよね。だから、お手頃なプロジェクターとスクリーンを選んだんだ。たまに見るだけでもペイできるからね。」
なんとも合理的で説得力のあるコメントの数々に、私は深く頷くばかりでした。
そして、大画面で観た「OUTRAGE」は素晴らしく、よい視聴経験となりました。
(かなり過激なシーンが多く、目を覆いたくなる場面も多々ありましたが…)
なにより「特別な時間を経験している」と強く感じました。
惰性で映像に付き合うのではなく、特別な存在として特別に扱う。
見る番組や作品により集中できて、特別なものを見ているという気になります。
こんな大スクリーンで、つまらない番組やプログラムは見たくない、という気持ちにさせてくれるのです。
そして、以前の記事で私がメリットとして挙げた「たまにみると面白い」というポイントも押さえていますね。
まさに、彼は戦略的にテレビを活用していました。
自分一人のためではなく、家族のきずなを深めるための活用をしていたことが、特に心に残りましたね。
その後、私は我が家にスクリーンを採用することはありませんでしたが、今でもこれは一つの有効な方法だと考えています。
今後環境が変わって、テレビと付き合う生活になる場合には、迷わずスクリーンを選択したいと思っています。(その為には、それなりひ広い家に住むことが必要になりますね…。)
ちなみに、その夜食べたお寿司の味はよく覚えていません(笑)。
覚えているのは、熱燗を沸騰させるほど熱くしてしまったことと、TAKESHI KITANOの作品についての彼のうんちくです(笑)。