「人を喜ばす」のは自分のため
こんばんは。
本日もこのブログにお越しいただきありがとうございます。
早くも週末がやってきましたね。
あなたにとって、この一週間はどのような時間でしたでしょうか。
私の場合は、先週の最悪な一週間に比べれば今週は少しはましでした。
実は、この一週間の生活の中で、「人を喜ばせる」ことを心がけ実践してきました。
この実践が「少しの挽回」をもたらしたのではないか?とも思っています。
起きてしまったことは仕方がありません。少しずつ挽回していきたいと思っています。
その「少し」を実践できた今週は、自分の行動を褒めてやりたいと思います。
ということで、今はビールを美味しくいただききながらこの記事を書いています。(笑)。
昨日の記事では、「人を喜ばす」ことについての鍵山秀三郎さん語録を数多くお伝えしました。
「自身の幸せ」と「人を喜ばす」ことの深い関連性を感じたのは私だけでしょうか?
私はこれらの言葉を読んでこう感じました。
「人を喜ばせるのは他人のためでなくても良い。自分のために行ってもいいんだ」
と。
鍵山さんの意図とは異なるかもしれませんが、私はそう感じたのです。
「他人を喜ばす」というのは、文字通り「他人のために」する行為ですよね。ですが、その本来の目的は「自分を喜ばす」「自分が幸せを感じる」ためにあってもいいのだ、と。
一見「自己中心的」な行動に感じるかもしれませんが、私はそれでもいいんだ、と思います。
なぜなら、それは「他人も幸せにしている」からです。
他人を陥れたり、他人を不幸にしたりすることで自分が幸せを得るのは良くありません。
これらがまさに自己中心的な行動であり感情だと思います。
他人を幸せにすることで自分も幸せになる。これは、まさにWin-Winですよね。
自分が幸せになることが本来の目的でもよい。両者が幸せになるのであれば。
こう考えると、「他人を喜ばす」ことに取り組むのが容易に感じられませんか?
私の場合はそうでした。
生真面目な人は「利他的」な感情がないとダメなのでは?と思いがちです。
「本当に真心がこもっていないといけない」
「そうしないと単なる偽善ではないか」
と思ったりするかもしれませんね。
でも、そういう考えに凝り固まっていると、「他人を喜ばす」という姿勢を習慣にすることはできません。少なくとも、(私のような)「自分ファースト」の人は、他人を喜ばす機会が持てなくなってしまいます。
「自分のためでもいいんだよ。」
と自分に言ってあげましょう。