匿名の陰口は気にしない 他人の鬱憤晴らしに翻弄される愚かさを考える
こんばんは。
本日もこのブログにお越しいただきありがとうございます。
早くも水曜日が終わろうとしています。あなたはどんな一日を過ごしましたか?
私は今日も忙しい一日を過ごしました。ここ半年くらいは本当に余裕を感じることもできないほど業務に忙殺されているのですが、この状況でも「早起き」は継続しています。いまや完全に習慣となっているため苦痛でもありません。
自分時間を少しでも確保するには必須の習慣だと再認識している日々です。まだ早起き習慣を試みてない方は是非トライしていただきたい、そう思います。
今日も楠木建さんの書籍『好きなようにしてください たった一つの「仕事」の原則』(ダイヤモンド社 2016年)から私がメモしていた内容をお伝えします。
今日は
「匿名の陰口は気にしない」
という言葉です。
私のメモからの抜粋を書きますね。
「陰口や匿名の悪口はすべて無条件にスルーする。面と向かって言ってこないのは言えないから。ただの鬱憤晴らし。いちいち受け止めたところで意味がない。」
この文章を記録に残しているのは、私が人間関係に翻弄されている証かもしれません(笑)。
でも、これは私に限ったことではないのは確かでしょう。
程度の差はすべての人が人間関係に気を遣いながら生活しているのです。
「陰口や匿名の悪口はすべて無条件にスルーする。」
これを自分が実践できるかどうかは難しいところですが、楠木建さんはご自身もそうされているといいます。
この意志決定基準の理由・前提が
「面と向かって言ってこないのは言えないから。ただの鬱憤晴らし。いちいち受け止めたところで意味がない。」
という部分です。
感情的に気になってしまうことも、その原因や前提を冷静に考えてみることの重要性を感じさせられます。
とはいえ、その時の感情に抗えない、ということもあるかもしれません。
このように考えたらよいのでは、と私は思いつきました。
他人の「鬱憤晴らし」に翻弄されて、自分の感情を乱しているのはなんと愚かでムダな行為であるかと。
これは、他の文脈でも語られている「他人を気にしすぎる」ことの弊害の一つでしょう。
「人は人、自分は自分」という考え方が根付いていれば、他人の鬱憤晴らしは気にならない、というよりは、気になってもスルーできる、のではないかと。
「意味がない」というよりは「自分の人生を無駄にしている」とまで言えるかもしれません。
「自分の人生を生きる」
この大切さをこの文脈から再認識しました。