「埋め合わせ」に他人を利用する
こんばんは。
このことと関連しますが、幼児性の三つ目は、他人のことに関心を持ちすぎるということです。繰り返しますが、仕事の部下としてその人のことを気にかけるのは上司として当然のことですが、仕事を離れればみなそれぞれに独立した人間です。社会人大学に行くなどという私生活が気に入らないなんて、他人のことを気にしすぎている。
社会人大学院に通う部下への不満を漏らす相談者に、楠木建さんは苦言を呈します。
部下の方からすれば、はなはだ迷惑ですよねw
では、相談者のこの上司は、なぜ他人である部下のことを気にし過ぎてしまうのか?
楠木建さんの考察を見ていきましょう。
なぜそうなるのかと言えば、本当にその人が気になるというよりも、自分の中に何かの不満や不足感があって、その埋め合わせという面が大きいのではないかと思います。
「お見事です!」 ついそう発してしまいましたw
そうなんですよね~。
その人のことが本当に気になっているわけではない。気になっているのは自分のこと。自分の生活がうまくいっていないから、他人にその不満をぶつけてしまう。
誰しも思い当たる節があるのではないでしょうか。私は大いにありますw
「公私混同」というと響きが悪いですが、これはどうしたって生じてしまうものです。特に、「感情」というコントロールが難しいものはなおさらのこと。
私たちはそれぞれ一人の人間です。「公」の自分も「私」の自分もいる。その二つ、というか、もっと多くのいろいろな「自分」が合わさっているんです。これを明確にその場その場で分けて使うのは至難の技なんですよね。
相談者である上司の方は、ご家庭で何か嫌なことがあったのかもしれません。部長から叱られたのかもしれません。その程度がどうであれ「不満」や「不足感」があるのでしょう。
そんな時に、それを「自分事」として自分の中で解決しようとするのが「大人」というものですが、これがなかなかどうして難しい。
どうしても自分が可愛いがゆえに、他人の迷惑など考えることなく、自分を救おうとしてしまう。そして、その矛先は、自分より弱い対象に向かうんですね。
機嫌が悪くて、ささいなことでつい「カッとしてしまう」ということは誰にもあるでしょう。その気分の悪さに駆られて、機嫌が損ねられた原因とは全く無関係の対象に、怒りをぶつけてしまうことはあるでしょう。
でも、そこで「あ、いけない」と気づいて反省できたら、まだいいんです。その他人に「ごめん、言い過ぎた。少し機嫌が悪くて。」と謝ることが出来たらベターです。その人もわかってくれるでしょう。誰もがそういうことはありますからね。
こういった、一時的で、あまり害の無い「気晴らし」であれば、まだ許せます。いや、許しましょう。
一方で、継続的で害のある「鬱憤晴らし」というものがあります。これが厄介なんです。
明日に続けます。