目標を掲げること その是非を考える
こんばんは。本日もこのブログにお越しいただきありがとうございます。
「川の流れのように」
楠木建さんファンにはお馴染みのフレーズですね。
この表題のメモの後に、私がとったメモの詳細を見ていきます。
まずは、この文章から。
「目標絶対達成!なんて生き方は難しい。世の中、ほとんどのことは自分の思い通りにならない。思い通りにいくことなど例外。」
「だから、自然な流れにひたすら身をまかせて生きていく。」
目標を掲げることの是非について、まさに一刀両断されています。
一般的に「目標を持つこと」は肯定的に捉えられていると思います。
あなたはどう感じますか?
よく聞くのが
「あてどなく、うろうろと歩いていたらいつの間にか富士山の頂上についていたということはない」。「富士山という目的を定めなければ、そこにたどり着くことはできない」
といった内容ですね。
何かを為そうと思ったときに、それを明確に目標として据えなければ、そのゴールにはたどり着けない。
これはまさにその通りだと思いませんか?
私は長い間、この考え方に何の疑問も感じずに生きてきました。
そして、目標を立てては挫折をし、また同じ目標をもしくは別の目標を掲げる。そしてまたもやうまくいかない。
この悪循環にはまりながらも、自分の意思の弱さを言い訳にし、「次こそは」という新たな目標に向かって進んできました。
ですが、楠木建さんの書籍を読んで、その考え方に固執していた自分を愚かに感じました。
もっと前向きにいえば、「違う考え方があるんだよ」と教えてもらった気がしたのです。
楠木建さんの肩書を見ると順風満帆にキャリアを重ねてこられたように感じますが、実際はそうではないようです。
ご本人曰く、「わりと行き当たりばったりで生きてきた」と。
だからこそ、楠木建さんは出口治明さんのお言葉に感銘を受けたのでしょう。
自分と同じような考え方をしながら、同じように(はたから見れば)立派なキャリアを気づいてきた方の言葉が、自分の考え方を明確に言語化してくれたのですから。
楠木建さんは「夢をもって生きよう!」といった言葉に疑問を感じるとおっしゃいます。
この言葉を全否定しているわけではありません。こんな考え方は窮屈だと思う、と。
そして、仕事生活を生きていく姿勢として「川の流れのように」は大いに「アリ」なのではないか、と。
窮屈さを常に感じながら生きてきた私にとっては、この考え方に救われた気がしたのです。
明日に続けます。