「努力」について考えたことはありますか?
こんばんは。
昨日は楠木建さんの「無努力主義の原則」から「努力」について考えてみました。
今日も続けます。
努力を美徳の一つとして捉えることは正しいと思います。容易でないことを取り組む精神は称えられるでしょう。
努力は継続を伴います。この「継続」というのが難しい。
楠木建さんは言います。
当人がその行いを「努力」と考えている限り、投下できる努力は質量ともに限られてくる、そして持続が難しい、と。
これは腑に落ちます。やりたくないことを無理に続けることは、ある種、苦行を続けているとも言えますよね。
誰もが強靭な精神力を持っているわけではありません。どこかで継続できなくなる時がきてしまいます。
努力の対象が理屈抜きに好きであり、本人は努力を努力と思っていない。だから、続けられる、というのが、楠木建さんの主張。これぞ「努力の娯楽化」。
理屈抜きに好きだから、苦になるどころか楽しくてたまらない。継続してやるのでどんどん上達していく。そうするともっと好きになる。そしてもっと上のレベルに到達する、という好循環ですね。「好きこそものの上手なれ」とはこのこと、と楠木建さんはおっしゃいます。
その通りかもしれません。
あなたの周囲にも「あの人はなぜあんなにも努力を継続できるのだろう?」という人はいませんか?
正確にいえば、自分ができないようなことを何の苦労もなくやっている人、楽しそうにやっている人、そして、着実に成果を上げている人。そんな人はいませんか?
そういう人は、それを努力だと思っていない。だから続けられる、上達する、成長する。この好循環に生きている。
一方で、同じように努力しているように見えても、なかなかうまくならない、成果を出せないという人もいませんか?
自分のことを考えてみれば、より分かりやすいと思います。
そういう人は、文字通り、無理してやっているのですね。これは決して悪いことではなく、必要なことだと思います。無理をしてでもやらないといけない場面もあります。
ですが、無理は長続きしないし、投下できる労力の質量とも、前者の人と比べれば見劣りしてしまいます。
このことを身をもって感じている方は多いように思います。私もその1人かもしれません。
「努力さえすれば何事も何とかなる」と考えたいところではありますが、それは理想論なのでしょう。
そして、次に続く楠木建さんの言葉が面白いです。
またもや、自分のことを言われているような気がしました。
明日に続けます。